・・・レナードが原理の非難を述べている間に、かつてフィルハルモニーで彼の人身攻撃をやった男が後ろの方の席から拍手をしたりした。しかしレナードの急き込んだ質問は、冷静な、しかも鋭い答弁で軽く受け流された。 レナード「もし実際そんな重力の『場』が・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・しかしその大家の論文をよく読んでみなければうっかりその人の非難はできない。 ヘルムホルツが「人間が鳥と同じようにして空を翔ける事はできない」と言ったのに、現に飛行機ができたではないかという人があらばそれは見当ちがいの弁難である。現在でも・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・うどこの百貨店で火災時の消防予行演習が行なわれていたためもあっていっそうの効力を発揮したようであるが、あの際もしもあの建物の中で遭難した人らにもう少し火災に関する一般的科学知識が普及しており、そうして避難方法に関する平素の訓練がもう少し行き・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・その煙の奥の方から本郷の方へと陸続と避難して来る人々の中には顔も両手も癩病患者のように火膨れのしたのを左右二人で肩に凭らせ引きずるようにして連れて来るのがある。そうかと思うとまた反対に向うへ行く人々の中には写真機を下げて遠足にでも行くような・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ あんなにも痛ましくたくさんの死者を出したのは一つには市街が狭い地峡の上にあって逃げ道を海によって遮断せられ、しかも飛び火のためにあちらこちらと同時に燃え出し、その上に風向旋転のために避難者の見当がつかなかったことなども重要な理由には相・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・これはもちろん、避難者の荷物が豊富な焚付けを供給したためである。火災後、橋々の上には、箪笥やカバンの金具が一面にちらばっていたのでも、おおよそ想像が出来る。 永くこの経験と教訓を忘れないために、主な橋々に、この焼けこぼれた石の柱や板の一・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・すると親類の一人から電話がかかって、辰之助が出てゆくと、今避難者が四百ばかり著くから、その中に道太の家族がいるかもしれないというのであった。道太はおぼつかないことだと思いながら、何だか本当に来るような気がして、あわててお湯を飛びだした。誰々・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・然し新都百般の経営既に成った後之を非難するは、病の膏盲に入った後治療の法を講ぜんとするが如きものであろう。東京の都市は王政復古の後早くも六十年の星霜を閲しながら、猶防火衛生の如き必須の設備すら完成することが出来ずにいる。都市のことを言うに臨・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 斯くの如く僕等がカッフェーに出入することの漸く頻繁となるや、都下の新聞紙と雑誌とは筆を揃えて僕の行動を非難し始めた。僕の記憶する所では、新聞紙には、二六、国民、毎夕、中央、東京日日の諸紙毒筆を振うこと最甚しく、雑誌にはササメキと呼ぶも・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・わが知る限りにおいては、またわが了解し得たる限りにおいては(了解し得ざる論議は暫く措必ずしも非難すべき点ばかりはない。けれども自然主義もまた一つのイズムである。人生上芸術上、ともに一種の因果によって、西洋に発展した歴史の断面を、輪廓にして舶・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
出典:青空文庫