・・・の所有者にとつては、あの幾何学公式のやうな書体で書かれた「純粋理性批判」の第一頁を読むだけでも、独逸的軍隊教育の兵式体操を課されたやうで、身体中の骨節がギシギシと痛んで来る。カントは頭痛の種である。しかし一通り読んでしまへば、幾何学の公理と・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・今この陰気な非学術的思想を動物心理学的に批判して見よう。 ビジテリアンたちは動物が可哀そうだから食べないという。動物が可哀そうだということがどうしてわかるか。ただこっちが可哀そうだと思うだけである。全体豚などが死というような高等な観念を・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ことがなければプロレタリア文学は真の芸術であり得ないという片上伸の主張とそのためのたたかいを著者は、同情と批判をもって跡づけている。 この初期の二つの評論にはっきりあらわれているように階級の歴史的経験を、自身の実感としないではいられなか・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・ いい考えは、むずかしい本をよんでいるときに浮ぶのではなくて、真面目にものをうけとる心さえあればいい音楽をきいていて、十分深い思慮を扶けられるものであり、ユーモアは、社会批判であることを知りたいと思います。 そして、私たちの考える能・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・あの首を取れと仰せられ候わば、鬼神なりとも討ち果たし申すべくと同じく、珍らしき品を求め参れと仰せられ候えば、この上なき名物を求めん所存なり、主命たる以上は、人倫の道に悖り候事は格別、その事柄に立入り候批判がましき儀は無用なりと申候。横田いよ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・、あの首を取れと仰せられ候わば、鬼神なりとも討果たし申すべくと同じく、珍らしき品を求め参れと仰せられ候えば、この上なき名物を求めん所存なり、主命たる以上は、人倫の道に悖り候事は格別、その事柄に立入り候批判がましき儀は無用なりと申候。相役いよ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・うことは不可能なことであるから、何事をも正確に生き生きと書き得られるということは所詮それは夢想に同じであるが、私たちにしても作者の顔や過去を知っているときは、もうその作家の作物に対して殆ど大部分正確な批判は下せていない。殊に、作家の顔がその・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・彼らが感覚派なるものに向って、感覚派も根本的生活活動から感覚的であらざるが故に、感覚派の感覚も所詮外面的糊塗であると云うがごとき者あらば、その者は生活の感覚化と文学的感覚表徴とを一致させねばやまない無批判者にちがいない。もしも人々に健康な叡・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・この書がもしその標榜する通りに成立したものであるならば、『多胡辰敬家訓』などと同じ古さのものとして取り扱われなくてはならないが、しかしそれに対する批判はすでに十八世紀の初め、宝永のころから行なわれているのであって、それによると著者は、江戸時・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・日本の文化や日本人の特性が批判せられるに当たって最も目につくことは個人の自覚の不足が指摘せられている点である。この不足のゆえに公共生活の訓練が不充分であり、従ってあらゆる都市の経営が根柢を欠いている。日本人はまだ都市の公共性を理解しない、こ・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
出典:青空文庫