・・・何しろ『富貴長命』と言うんだからね。人間の最上の理想物だと言うんだ。――君もこの信玄袋を背負って帰るんだから、まあ幸福者だろうてんでね、ハハハ」 惣治にはおかしくもなかった。相変らずあんなことばかし言って、ふわふわしているのだろうという・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・何しろ『富貴長命』と言うんだからね。人間の最上の理想物だと言うんだ。――君もこの信玄袋を背負って帰るんだから、まあ幸福者だろうてんでね、ハハハ」 惣治にはおかしくもなかった。相変らずあんなことばかし言って、ふわふわしているのだろうという・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・若草山で摘んだ蕨や谷間で採った蕗やが、若い細君の手でおひたしやお汁の実にされて、食事を楽しませた。当もない放浪の旅の身の私には、ほんとに彼らの幸福そうな生活が、羨ましかった。彼らの美しい恋のロマンスに聴き入って、私はしばしば涙を誘われた。私・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・ぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁った色の霞のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差、任放、錯雑のありさまとなし、雲を劈く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して、不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動し・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 氏はまた蒲公英少しと、蕗の晩れ出の芽とを採ってくれた。双方共に苦いが、蕗の芽は特に苦い。しかしいずれもごく少許を味噌と共に味わえば、酒客好みのものであった。 困ったのは自分が何か採ろうと思っても自分の眼に何も入らなかったことであっ・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・ 第一、俺は見覚えの盆踊りの身振りをしながら、時々独房の中で歌い出したものだ――独房よいとオこ、誰で――もオおいで、ドッコイショ………………附記 田口の話はまだ/\沢山ある。これはそのホンの一部だ。私は又別な・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・と巻末に附記して在る。私が、それを知っていると面白いのであるが、知る筈がない。君だって知るまい。笑っちゃいけない。 不思議なのは、そんなことに在るのでは無い。不思議は、作品の中に在るのである。私は、これから六回、このわずか十三ページの小・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・名人気質の、わがままな人である。富貴も淫する能わずといったようなところがあった。私の父も、また兄も、洋服は北さんに作ってもらう事にきめていたようである。私が東京の大学へはいってから、北さんは、もっぱら私を監督した。そうして私は、北さんを欺い・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・名人気質の、わがままな人である。富貴も淫する能わずといったようなところがあった。私の父も、また兄も、洋服は北さんに作ってもらう事にきめていたようである。私が東京の大学へはいってから、北さんは、もっぱら私を監督した。そうして私は、北さんを欺い・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・ 蕗の芽とりに行燈ゆりけす 芭蕉がそれに続けた。これも、ほんのおつき合い。長き脇指に、そっぽを向いて勝手に作っている。こうでもしなければ、作り様が無かったろう。とにかく、長き脇指には驚愕した。「行燈ゆりけす」という描写は流石で・・・ 太宰治 「天狗」
出典:青空文庫