・・・自然主義発生当時と同じく、今なお理想を失い、方向を失い、出口を失った状態において、長い間鬱積してきたその自身の力を独りで持余しているのである。すでに断絶している純粋自然主義との結合を今なお意識しかねていることや、その他すべて今日の我々青年が・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ かつて、山神の社に奉行した時、丑の時参詣を谷へ蹴込んだり、と告った、大権威の摂理太夫は、これから発狂した。 ――既に、廓の芸妓三人が、あるまじき、その夜、その怪しき仮装をして内証で練った、というのが、尋常ごとではない。 十日を・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・の上、雲の中を伝うように大空に高く響いて、この町を二三度、四五たび、風に吹廻されて往来した事がある……通魔がすると恐れて、老若、呼吸をひそめたが、あとで聞くと、その晩、斎木の御新造が家を抜出し、町内を彷徨って、疲れ果てた身体を、社の鳥居の柱・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・あの木戸は、私が御奉公申しましてから、五年と申しますもの、お開け遊ばした事といっては一度もなかったのでございます。紳士 うむ、あれは開けるべき木戸ではないのじゃ。俺が覚えてからも、止むを得ん凶事で二度だけは開けんければならんじゃった。が・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・年紀少くて孀になりしが、摩耶の家に奉公するよし、予もかねて見知りたり。 目を見合せてさしむかいつ。予は何事もなく頷きぬ。 女はじっと予を瞻りしが、急にまた打笑えり。「どうもこれじゃあ密通をしようという顔じゃあないね。」「何を・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 欣弥さんはお奉行様じゃ、むむ、奥方にあらず、御台所と申そうかな。撫子 お支度が。(――いい由村越 さあ、小父さん、とにかくあちらで。何からお話を申して可いか……なにしろまあ、那室へ。七左 いずれ、そりゃ、はッはッはッ、・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・い光る雨に、花吹雪を浮かせたように、羽が透き、身が染って、数限りもない赤蜻蛉の、大流れを漲らして飛ぶのが、行違ったり、卍に舞乱れたりするんじゃあない、上へ斜、下へ斜、右へ斜、左へ斜といった形で、おなじ方向を真北へさして、見当は浅草、千住、そ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・で其真相を知り居らぬが、種々な方面より知り得たる処では、吾国の茶の湯と其精神酷だ相似たるを発見するのである、それはさもあるべき事であろう、何ぜなれば同じ食事のことであるから其興味的研究の進歩が、遂に或方向に類似の成績を見るに至るは当然の理で・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 父は依然として朝飯夕飯のたびに、あんなやつを家へ置いては、世間へ外聞が悪い、早くどこかへ奉公にでもやってしまえという。母は気の弱い人だから、心におとよをかわいそうと思いながら、夫のいうことばに表立って逆らうことはできない。「おとよ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・その何番目かの娘のおらいというは神楽坂路考といわれた評判の美人であって、妙齢になって御殿奉公から下がると降るほどの縁談が申込まれた。淡島軽焼の笑名も美人の噂を聞いて申込んだ一人であった。 然るに六十何人の大家族を抱えた榎本は、表面は贅沢・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫