・・・そんさきにぽうっとした、あれが鵜でござります。まだ小一里でござりましょう」 いよいよ霧がふかくなってきた。舟津も木立ちも消えそうになってきた。キィーキィーの櫓声となめらかな水面に尾を引く舟足と、立ってる老爺と座しておる予とが、わずかに消・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
三年生になった途端に、道子は近視になった。「明日から、眼鏡を掛けなさい。うっちゃって置くと、だんだんきつくなりますよ」 体格検査の時間にそう言われた時、道子はぽうっと赧くなった。なんだか胸がどきどきして、急になよな・・・ 織田作之助 「眼鏡」
・・・とよび、友達に冷やかされてぽうっと赫くなってうつむくのが嬉しいのだった。 安子が毎朝教室へ行って机を開けると何通もの艶文がはいっていた。が、安子は健坊という一人を「あたいの好い人」にしていた。健坊は安子の家とは道一つへだてた向側の雑貨屋・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・それだからその圧を加えられて、ぽうっとしてよろめきながら歩いているのである。そんな風であるから、どうして外の人の事に気を留める隙があろう。自分と一しょに歩いているものが誰だということをも考えないのである。連とはいいながら、どの人をも今まで見・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
幼時の記憶の闇の中に、ところどころぽうっと明るく照らし出されて、たとえば映画の一断片のように、そこだけはきわめてはっきりしていながら、その前後が全く消えてしまった、そういう部分がいくつか保存されて残っている。そういう夢幻の・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・今まで灰色や土色をしていたあらゆる落葉樹のこずえにはいつとなしにぽうっと赤みがさして来た。鼻のさきの例の楓の小枝の先端も一つ一つふくらみを帯びて来て、それがちょうどガーネットのような光沢をして輝き始めた。私はそれがやがて若葉になる時の事を考・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・ 向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のように思われました。・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
出典:青空文庫