・・・三界六道の教主、十方最勝、光明無量、三学無碍、億億衆生引導の能化、南無大慈大悲釈迦牟尼如来も、三十二相八十種好の御姿は、時代ごとにいろいろ御変りになった。御仏でももしそうとすれば、如何かこれ美人と云う事も、時代ごとにやはり違う筈じゃ。都でも・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 釈迦如来は勿論三界六道の教主、十方最勝、光明無礙、億々衆生平等引導の能化である。けれどもその何ものたるかは尼提の知っているところではない。ただ彼の知っているのはこの舎衛国の波斯匿王さえ如来の前には臣下のように礼拝すると言うことだけであ・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・いや、東京の夜の秘密を一通り御承知になった現在なら、無下にはあなたも私の話を、莫迦になさる筈はありますまい。もしまたしまいまで御聞きになった上でも、やはり鶴屋南北以来の焼酎火のにおいがするようだったら、それは事件そのものに嘘があるせいと云う・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・寒月の放胆無礙な画風は先人椿岳の衣鉢を承けたので、寒月の画を鑑賞するものは更に椿岳に遡るべきである。 椿岳の画の豪放洒脱にして伝統の画法を無視した偶像破壊は明治の初期の沈滞萎靡した画界の珍とする処だが、更にこの畸才を産んだ時代に遡って椿・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ その日の夕暮に一城の大衆が、無下に天井の高い食堂に会して晩餐の卓に就いた時、戦の時期は愈狼将軍の口から発布された。彼は先ず夜鴉の城主の武士道に背ける罪を数えて一門の面目を保つ為めに七日の夜を期して、一挙にその城を屠れと叫んだ。その声は・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・文学は伝記にあらず、記実にあらず、文学者の頭脳は四畳半の古机にもたれながらその理想は天地八荒のうちに逍遙して無碍自在に美趣を求む。羽なくして空に翔るべし、鰭なくして海に潜むべし。音なくして音を聴くべく、色なくして色を観るべし。かくのごとくし・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ふき子の内身からは一種無碍な光輝が溢れ出て、何をしている瞬間でもその刹那刹那が若い生命の充実で無意識に過ぎて行く。丁度無心に咲いている花の、花自身は知らぬ深い美に似たものが、ふき子の身辺にあった。陽子は、自分の生活の苦しさなどについて一言も・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・体は安らかで知覚なく、僅に遺った燼のように仄温いうちに、魂が無碍に遠く高く立ち去って行く。決して生と死との争闘ではなかった。充分生きた魂の自然な離脱、休安という感に打れた。八十四歳にもなると、人はあのように安らかに世を去るものなのだろうか。・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・彼は享楽人であるために、その享楽の世界において無礙の愛を持っているのである。それだけにまたその愛には物足りないところもないではない。深く胸を刺すというような趣は少ない。無限の深い神秘へ人をいや応なしに引きずり込んで行こうとするような趣も乏し・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫