・・・ 家の者達にも、めっきり優しくなっている。隣室で子供が泣いても、知らぬ振りをしていたものだが、このごろは、立って隣室へ行き不器用に抱き上げて軽くゆすぶったりなどする事がある。子供の寝顔を、忘れないように、こっそり見つめている夜もある。見・・・ 太宰治 「新郎」
・・・ 出来るだけ早くこの辛い世間から抜し(たいと希う心、早く、無我の世界に入りたいと望む心が日一日と深くなって行った。 めっきり気やかましくなった栄蔵に対してお節は実に忠実に親切にした。 こう云うのも病気のため、ああ怒るのも痛みのた・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ やせてめっきり衰えたまだ若い男は毎日毎日来ては女の手につかまって居た。「私はもうじき近い内に死ぬと云う事を知って居る」と云った。女はどんな時でもひややかに笑いながら男には手先だけほかゆるさないでつっついたり、小突いたりして居た・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ 庭の真中に突立って自信のあるらしい様子をして居る青桐がめっきり見すぼらしくなり下って、あの古ぼけたレースをぶら下げた様な葉の姿を見るといやだと外思い様がない。 白髪頭を振りたてて日かげのうす暗く水臭い流し元で食物をこね返して居る貧・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・ 看守は、雑役の働く手先につれて彼方此方しながら、「この一二年、めっきり留置場の客種も下ったなア」と、感慨ありげに云った。「もとは、滅多に留置場へなんか入って来る者もなかったが、その代り入って来る位の奴は、どいつも娑婆じゃ相・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ その日から長次はめっきり強くなった。けれども学校では同じ位にいじめられて居たけれども、「何んだい、天子様の御前で弾いて見せるぞ」 涙をこぼしながらそう云って居た。 家にかえるとすぐ誰が居ても斯う云って居た。「ネエ母ちゃ・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
私の部屋の前にかなり質の好い紅葉が一本ある。 気がつかないで居て今日見るとめっきり色附いて、品の好い褪紅色になって槇の隣りにとびぬけた美くしさで輝いて居る。 今畳屋が入って居るので家中、何となし新らしい畳特有の香り・・・ 宮本百合子 「通り雨」
七月二十一日 晴 木の葉のしげみや花ずいの奥にまだ夜の香りがうせない頃に目が覚めた。外に出る。麻裏のシットリとした落つきも、むれた足にはなつかしい。 この頃めっきり広がった苔にはビロードのやわらかみと快い弾力が有ってみどりの細い・・・ 宮本百合子 「日記」
「どうもめっきりよわったもんだ」 男は枯木の様に血の色もなく、力もなく、只かすかに、自分の足と云うだけの感じは有る二本の足をつめながら一人ごとを云う。 のびのびとした、ねぼけたような春の日光は縫目にしらみの行列の有りそうな袷・・・ 宮本百合子 「ピッチの様に」
めっきり夜寒になった。 かなり長い廊下を素足で歩きにくくなった。 昼ま、出して置いた六六鉢の西洋葵を入れずに雨戸をしめた事を思い出した。 たった五六本ほかなく、それも黄ない葉が多くなって居るのを今夜中つめたい中・・・ 宮本百合子 「夜寒」
出典:青空文庫