・・・始めから終わりまで道に迷い通しに迷って、無用な労力を浪費するばかりで、結局目的地の見当もつかずに日が暮れてしまうのがおちであろうと思われる。 しかし学校教育の必要といったような事を今さら新しくここで考え論じてみようというのではない。ただ・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・高価な器械を持つ人と、粗製の器械をもつ人との相違と本質的に同じとも言われる。多くのすぐれた器械の結果が互いに一致し、そうしてその結果が全系統に適合する時に、その結果を「事実」と名づけることがいけなければ、科学はその足場を失うであろう。 ・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・煙管を持つ手や、立てている膝頭のわなわな戦いているのも、向合っている主の目によく見えた。「忘れもしねえ、それが丁度九月の九日だ。私はその時、仕事から帰って、湯に行ったり何かしてね、娘どもを相手に飯をすまして、凉んでるてえと、××から忰の・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・しかしこれまで幾年間同じ級にいた友達とは一緒になれず、一つ下の級の生徒になったので、以前のように学業に興味を持つことが出来ない。休課の時間にもわたくしは一人運動場の片隅で丁度その頃覚え初めた漢詩や俳句を考えてばかりいるようになった。 根・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・何故とは知らず、悉く身は痿えて、手に持つ燭を取り落せるかと驚ろきて我に帰る。乙女はわが前に立てる人の心を読む由もあらず。「紅に人のまことはあれ。恥ずかしの片袖を、乞われぬに参らする。兜に捲いて勝負せよとの願なり」とかの袖を押し遣る如く前・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ことにそれ自身に活動力を具えて生存するものには変化消長がどこまでもつけ纏っている。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩れ出さないとも云えない。要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵え出した・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾が神経の繊維もついには鍋の中の麩海苔のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。 しかも余は他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く宛・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・を直覚させるであらうところの装幀――に関して、多少の行き届いた良心と智慧とをもつてゐる文学者たちは、決していつも冷淡であることができないだらう。 けれどもこの注文は、実際に於て満足されない事情がある。なぜかならば我等の芸術を装幀するもの・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・その深遠な理由は、思想が人間性の苦悩の底へ、無限に深くもぐりこんで抜けないほどに根を持つて居るのと、多岐多様の複雑した命題が、至るところで相互に矛盾し、争闘し、容易に統一への理解を把握することができないこと等に関聯して居る。ニイチェほどに、・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・いかなる人の自負心をもつてしても、十九世紀以来の地上で、ニイチェと競争することは絶望である。 ニイチェの著書は、しかしその難解のことに於て、全く我々読者を悩ませる。特に「ツァラトストラ」の如きは、片手に註解本をもつて読まない限り、僕等の・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
出典:青空文庫