・・・こうしたじめじめした池沼のほとりの雰囲気はいつも自分の頭のどこかに幼い頃から巣くっている色々な御伽噺中の妖精を思い出すようである。 大正池の畔に出て草臥れを休めていると池の中から絶えずガラガラガラ何かの機械の歯車の轢音らしいものが聞こえ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ 蠅がばいきんをまきちらす、そうしてわれわれは知らずに、年中少しずつそれらのばいきんを吸い込みのみ込んでいるために、自然にそれらに対する抵抗力をわれわれの体中に養成しているのかもしれない。そのおかげで、何かの機会に蠅以外の媒介によって、・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・ 妖精の舞踊や、夢中の幻影は自分にはむしろないほうがよいと思われた。 この映画も見る人々でみんなちがった見方をするようである。自分のようなものにはこの劇中でいちばんかわいそうなは干物になった心臓の持ち主すなわちにんじんのおかあさんで・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・科学に対する興味を養成するには、六かしくて嘘だらけの通俗科学書や浅薄で中味のないいわゆる科学雑誌などを読んでもたいして効能はない。むしろ日常身辺の自分に最も親しい物質の世界の事柄を深く注目し静かに観察してその事柄の真相をつき止めようという人・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・それが小さな、可愛らしい、夏夜の妖精の握り拳とでも云った恰好をしている。夕方太陽が没してもまだ空のあかりが強い間はこの拳は堅くしっかりと握りしめられているが、ちょっと眼を放していてやや薄暗くなりかけた頃に見ると、もうすべての花は一遍に開き切・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・それが小さな、かわいらしい、夏夜の妖精の握りこぶしとでもいった格好をしている。夕方太陽が没してもまだ空のあかりが強い間はこのこぶしは堅くしっかりと握りしめられているが、ちょっと目を放していてやや薄暗くなりかけたころに見ると、もうすべての花は・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・もし誰か金持の中の変り者でもあって、月並の下らないいわゆる社会事業などに出す金をこの方面に注いで、そうして適当な監督を見出し養成すればあるいは出来るかもしれないのである。しかしそれよりも先に一般民衆が教育映画というものの価値を十分に認めるこ・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
理科教授につき教師の最も注意してほしいと思うことは児童の研究的態度を養成することである。与えられた知識を覚えるだけではその効は極めて少ない。今日大学の専門の学生でさえ講義ばかり当てにして自分から進んで研究しようという気風が・・・ 寺田寅彦 「研究的態度の養成」
・・・の絵にはどこかに西欧の妖精らしい面影が髣髴と浮かんでいる。著者の小品集「怪談」の中にも出て来る「轆轤首」というものはよほど特別に八雲氏の幻想に訴えるものが多かったと見えて、この集中にも、それの素描の三つのヴェリエーションが載せられている。そ・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・幼い子等には、まだ見たことのない父母の郷国が、お伽噺の中の妖精国のように不思議な幻像に満たされているように思われるらしい。例えば郷里の家の前の流れに家鴨が沢山並んでいて、夕方になると上流の方の飼主が小船で連れに来るというような何でもない話で・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
出典:青空文庫