・・・が、丹造は苦笑もせず、そして、だんだん訊くと、二、三、四、六、七の日が灸の日で、この日は無量寺の紋日だっせ、なんし、ここの灸と来たら……途端に想いだしたのは、当時丹造が住んでいた高津四番丁の飴屋の路地のはいり口に、ひっそりひとり二階借りして・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ともかくも路地をたどって通りへ出た。亭主は雨がやんでから行きなと言ったが、どこへ行く? 文公は路地口の軒下に身を寄せて往来の上下を見た。幌人車が威勢よく駆けている。店々のともし火が道に映っている。一二丁先の大通りを電車が通る。さて文公はどこ・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ ここに言うホールとは、銀座何丁目の狭い、窮屈な路地にある正宗ホールの事である。 生一本の酒を飲むことの自由自在、孫悟空が雲に乗り霧を起こすがごとき、通力を持っていたもう「富豪」「成功の人」「カーネーギー」「なんとかフェラー」、「実・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・私は眠られないのと熱つ苦しいとで、床を出ましてしばらく長火鉢の傍でマッチで煙草を喫っていましたが、外へ出て見る気になり寝衣のままフイと路地に飛び出しました。路地にはもう誰もいないのです。路地から通りに出ますと、月が傾いてちょうど愛宕山の上に・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 住居は愛宕下町の狭い路次で、両側に長屋が立っています中のその一軒でした。長屋は両側とも六軒ずつ仕切ってありましたが、私の住んでいたのは一番奥で、すぐ前には大工の夫婦者が住んでいたのでございます。 長屋の者は大通りに住む方とは違いま・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・「五月十二日、鎌倉を立ちて甲斐の国へ分け入る。路次のいぶせさ、峰に登れば日月をいただく如し。谷に下れば穴に入るが如し。河たけくして船渡らず、大石流れて箭をつくが如し。道は狭くして繩の如し。草木繁りて路みえず。かかる所へ尋ね入る事、浅から・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・午前九時知る人をたずねしに、言葉の聞きちがえにて、いと知れにくかりければ、いそがずはまちがえまじを旅人の あとよりわかる路次のむだ道 二十一日、この日もまた我が得べき筋の金を得ず、今しばらく待ちてよとの事に逗・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・わたしは古人の隠逸を学ぶでも何でもなく、何とかしてこの暑苦を凌ごうがためのわざくれから、家の前の狭い路地に十四五本ばかりの竹を立て、三間ほどの垣を結んで、そこに朝顔を植えた。というは、隣家にめぐらしてある高いトタン塀から来る反射が、まともに・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・というは、隣家にめぐらしてある高いトタン塀から来る反射が、まともにわたしの家の入口の格子をも露地に接した窓をも射るからであった。わたしはまだ日の出ないうちに朝顔に水をそそぐことの発育を促すに好い方法であると知って、それを毎朝の日課のようにし・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・ と、三郎は頭をかきかき、古い時計のかかった柱から鍵をはずして路地の石段の上まで見に出かけた。 郷里のほうからのたよりがそれほど待たれる時であった。この旅には私は末子を連れて行こうとしていたばかりでなく、青山の親戚が嫂に姪に姪の子供・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫