・・・ 今では日吉町にプランタンが出来たし、尾張町の角にはカフェエ・ギンザが出来かかっている。また若い文学者間には有名なメイゾン・コオノスが小網町の河岸通りを去って、銀座附近に出て来るのも近い中だとかいう噂がある。しかしそういう適当な休み場所・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ そもそも僕が始て都下にカッフェーというもののある事を知ったのは、明治四十三年の暮春洋画家の松山さんが銀座の裏通なる日吉町にカッフェーを創設し、パレット形の招牌を掲げてプランタンという屋号をつけた際であった。僕は開店と言わずして特に創設・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・如何となれば巴里風のカッフェーが東京市中に開かれたのは実に松山画伯の AU PRINTEMPS を以て嚆矢となすが故である。当時都下に洋酒と洋食とを鬻ぐ店舗はいくらもあった。又カウンターに倚りかかって火酒を立飲する亜米利加風の飲食店も浅草公・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・寿江子の靴下プランタンへ買いにゆくやぶれたのをはいて 伸子 マッフラー止め二ケ 手帖 スエ子靴下 マデレーヌのうしろの店でトーモロコシを買う8F 四本で電車でかえる。日没美しいcaf を一・・・ 宮本百合子 「「道標」創作メモ」
出典:青空文庫