・・・ たとえば、レマルクの、「その後に来るもの」の中にも、ところ/″\、一幅の絵として見るに足る叙景があったと記憶します。水溜りにうつった空の景色や、柔らかな畠の土の色などを、そのまゝ、手に触れるように書かれているというよりは、描かれている・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・それに己はまだ一マルク二十ペンニヒここに持っている。実は二マルク四十ペンニヒなくてはならないのだ。それさえあれば己はあっちのリングの方にいる女きょうだいの処まで汽車で行かれるのだが。」 婆あさんは、目を小さくして老人の顔を見ていたが、一・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・と云って、「あなたにお目に掛かった記念にしますから、二十マルクを一つ下さいな」と云ったっけ。 ホテルに帰ったのは、午前六時であった。自動車のテクサメエトルを見たら五の所に針が行っていた。それをどう云うものだか、ショッフヨオルの先生が十二・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・その時誰かの万年筆のインキがほんの少しばかり卓布を汚したのに対して、オーバーケルナーが五マルクとかの賠償金を請求した。血気な連中のうちの一人の江戸っ子が、「それじゃインキがどれだけ多くついてもやはり同じ事か」と聞いた。そうだという返答をたし・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・同時にユダヤ人の後裔にとっての一つの神なるエホバは自ずから姿を変えて、やがてドルになりマルクになった。その後裔の一人であったマルクスには、「経済」という唯一の見地よりしか人間の世界を展望することが出来なかった。それで彼の一神教的哲学は茫漠た・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・その席でペンクは、本日某無名氏よりシャックルトン氏の探険費として何万マルクとかの寄附があったと吹聴した。その無名氏なるものがカイザー・ウィルヘルム二世であることが誰にも想像されるようにペンク一流の婉曲なる修辞法を用いて一座の興味を煽り立てた・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・又はレマルクの「西部戦線異状なし」バルビュスの「砲火」などを読んだ人々は、燈火管制下の夜の凄さというものは、仮死どころか、その闇の中にあって異常に張りつめられている注意、期待、決意がかもし出す最も密度の濃い沈黙的緊張の凄さであることを、実感・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・レマルクの「凱旋門」は日本でもベスト・セラーズの一つであった。小説をよむほどの若い人々はみんなよんで、一九四七年度の感銘された作品の一つとした。「凱旋門」のどの点に、こんにちの若い日本の精神をとらえた魅力の核があったのだろう。あの小説よかっ・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・にはじまる十九世紀の自然主義からロシアの批判的なリアリズムを通じてレマルクが「西部戦線異状なし」から「凱旋門」に至ったヨーロッパ――フランス、ドイツの恐ろしい三〇年間の社会と文学のいきさつを追求してみなければならないことを意味する。そして、・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・レオニード・レオーノフの「スクタレフスキー教授」などは、科学者の学問的情熱と社会の歴史的環境を扱っていましたが、素人眼にも科学者は成功的でありませんでした。レマルクの「凱旋門」の主人公の外科医ぶりは、外科の医者からみると、ところどころ危っか・・・ 宮本百合子 「質問へのお答え」
出典:青空文庫