・・・を、また「街のルンペン」をその与えられたる限りにおいて観賞することに努力すべきであろう。 四「アフリカは語る」を一見した。この種の実写映画は何度同じようなものを見せられても見るたびに新しい興味を呼びさまされる・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・軒下に眠るルンペンのいびきの音が伴奏を始める。家の裏戸が明いて早起きのおかみさんが掃除を始める、その箒の音がこれに和する。この三つの音が次第に調子を早める。高角度に写された煙突から朝餉の煙がもくもくと上がり始めると、あちらこちらの窓が明いて・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・その靴磨きのルンペンの一人がすなわち休憩室の飾り物を貰った子供の御父さんである。バーは紙の建築で人の出入りはないが表を色々の人通りがある。 役者でも舞台の一方から一方へただ黙って通りぬけるだけの役があるらしい。そんな役であってもやはり舞・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・それから人力俥夫になり、馬丁になり、しまいにルンペンにまで零落した。浅草公園の隅のベンチが、老いて零落した彼にとっての、平和な楽しい休息所だった。或る麗らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・堂々と玄関を構えてる医者の家へ、ルンペンか主義者のような風態をした男が出入するのを、父は世間態を気にして、厭がったのは無理もなかった。そこで青年たちが来る毎に、僕は裏門をあけてそっと入れ、家人に気兼ねしながら話さねばならなかった。それは僕に・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・病院へ入れて中毒を療して貰っても、また悪い癖に戻るようなルンペンは、生産に携る勤労者として価値ないと云っていつまでもくっついて、自分達の生活をダメにさせちゃ置かぬ。 ――この頃はどうなんだ? ましか? ――ずっと増しだ。第一消費組合・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・に、プロレタリアとして歴史を推進させてゆく自覚ある労働者部隊の革命的な任務が、はっきりさせられると一緒にプロレタリア文学は、アナーキストの権力否定の文学とも違うし、貧窮文学でもないし、下村千秋のようなルンペン・プロレタリアートの文学とも違う・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・の林芙美子がルンペン・プロレタリアート少女の境地から「晩菊」に到った歩みかた。はげしい歴史の波の一つの面は、平林たい子、林芙美子という婦人作家たちをそのような存在として押しあげた。歴史の波のもう一つの面は、社会の底までうちよせて小池富美子を・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・自然発生にあらわれはじめた無産者文学一般の中に、プロレタリア文学とルンペン・プロレタリアート文学とのけじめをつけ、プロレタリア文学と農民文学、同伴者文学との現実的な関係をあきらかにしたのも、プロレタリア文学理論であった。文学内部の課題として・・・ 宮本百合子 「両輪」
出典:青空文庫