・・・「その他に一身上の咄は何もしなかったかい?」「イイヤ、何にも。」「困ったよ、」U氏は首を掉って一と言いったぎり顔を顰めて固く唇を結んでしまった。「Yがドウかしましたか?」「困ったよ、」と、U氏は両手で頭を抱えて首を掉り掉・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・かつて二葉亭の一身上の或る重要な問題について坪内博士と談合した時、二葉亭の心の中は多分こうであろうと推断して博士に話した。すると間もなく二葉亭は博士を訪うて、果して私が憶測した通りな心持を打明けて相談したので、「内田君も今来て君の心持は多分・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・去年の秋だったかしら、なんでも青井の家に小作争議が起ったりしていろいろのごたごたが青井の一身上に振りかかったらしいけれど、そのときも彼は薬品の自殺を企て三日も昏睡し続けたことさえあったのだ。またついせんだっても、僕がこんなに放蕩をやめないの・・・ 太宰治 「葉」
・・・本来の私ならば、ここに於いて、あの泥靴の不愉快きわまる夢をはじめ、相ついで私の一身上に起る数々の突飛の現象をも思い合せ、しかも、いま、この眼で奇怪の魔性のものを、たしかに見とどけてしまったからには、もはや、逡巡のときでは無い、さては此の家に・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・部内の世話は勿論、部員学生の一身上の心配までした。 鉄腸居士を父とし、天台道士を師とし、木堂翁に私淑していたかと思われる末広君には一面気鋒の鋭い点があり痛烈な皮肉もあった。若い時分には、曲ったこと、間違ったことと思う場合はなかなか烈しく・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・それよりか船長の一身上の生活の行路の方が気にかかる、その方を旨く取り扱ってくれる方が極力海を描出するよりも大切であり、かつ読者にありがたいのである。余の見るところではコンラッドはその調子を取らない。 これではまだ日高君は首肯されないかも・・・ 夏目漱石 「コンラッドの描きたる自然について」
・・・いろんなひとがいろいろの一身上のことについて相談に来る。それをやっぱり加減がよくなくても聞く。そしてそれぞれの意見を云う。――面白いもので、この頃のような時季には、いろんなひとが一身上のことで問題をおこして居ります。仕事を本気にやっていると・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・漱石は、だが一身上の必要から、やっぱりいやな大学にも出かけなければならず、そのいやな大学の講義に当時の胸中の懊悩をきわめて意力的にたたきこんで、彼の最大不機嫌中に卓抜な英文学史と文学評論とを生み出した。 荷風の方は、家父もみっともないこ・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
出典:青空文庫