・・・そのままの普段着で両親の家へ、急行に乗って、と彼は涙の中に決心していた。 梶井基次郎 「過古」
・・・そんな場合になってしまうと、私は糸の切れた紙凧のようにふわふわ生家へ吹きもどされる。普段着のまま帽子もかぶらず東京から二百里はなれた生家の玄関へ懐手して静かにはいるのである。両親の居間の襖をするするあけて、敷居のうえに佇立すると、虫眼鏡で新・・・ 太宰治 「玩具」
・・・当時、私は甲府市に小さい家を借りて住んでいたのであるが、その結婚式の日に普段着のままで、東京のその先輩のお宅へ参上したのである。その先輩のお宅で嫁と逢って、そうして先輩から、おさかずきを頂戴して、嫁を連れて甲府へ帰るという手筈であった。北さ・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・帽子もかぶらず、普段着の木綿の着物で、それに、下駄も、ちびている。お荷物、一つ無い。一夜泊って、大散財しようと、ひそかに決意している旅客のようには、とても見えまい。土地の人間のように見えるのだろう。笠井さんは、流石に少し侘びしく、雨さえぱら・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ところが、それはあべこべで、地味な普段着も何も焼いてしまって、こんな十六、七の頃に着た着物しか残っていないので、仕方なく着ているのだわ。お金だって、そのとおり、同じことよ。あたしたちには、もう何も無いのよ。いいえ、兄はあんな真面目くさった性・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・たいてい私は、軽んぜられる。普段着のように見えるのかも知れない。そうして帰途は必ず、何くそ、と反骨をさすり、葛西善蔵の事が、どういうわけだか、きっと思い出され、断乎としてこの着物を手放すまいと固執の念を深めるのである。 単衣から袷に移る・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・これから、彼の家へ行って細君に逢い、場合に依っては、その女神とやらの面皮をひんむいてやろうと考え、普段着の和服に二重廻しをひっかけ、「それでは、おともしましょう。」 と言った。 外へ出ても、彼の興奮は、いっこうに鎮まらず、まるで・・・ 太宰治 「女神」
・・・の詩をかけよ手紙をかくようにたくさんの詩をかけよ 時々刻々に書き書けば成りがたい彫心縷骨の一篇よりも更に山があり谷があり貴女の姿のまるみのみえる逆説的の不思議はそこに普段着のごとく書けよ流れるごとく書け・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
出典:青空文庫