・・・とお世辞でなくなつかしそうに眼をしょぼつかせて、終戦後のお互いの動静を語り合ったあと、「――この頃は飲む所もなくてお困りでしょう」と言っていたが、何思ったか急に、「どうです私に随いて来ませんか、一寸面白い家があるんですがね」と誘った。・・・ 織田作之助 「世相」
・・・お常は丸く肥りて色白く、都ならば看板娘の役なれどこの二人は衣装にも振りにも頓着なく、糯米を磨ぐことから小豆を煮ること餅を舂くことまで男のように働き、それで苦情一つ言わずいやな顔一つせず客にはよけいなお世辞の空笑いできぬ代わり愛相よく茶もくん・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・母はちょっと助を見たが、お世辞にも孫の気嫌を取ってみる母では無さそうで、実はそうで無い。時と場合でそんなことはどうにでも。「助の顔色がどうも可くないね。いったい病身な児だから余程気をつけないと不可ませんよ」と云いつつ今度は自分の方を向い・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・と笑って世辞をいってくれた。その言葉を背中に聴かせながら、 ああ、宜いとも。だがまだボク釣師だからね、ハハハ。と答えてサッサと歩くと、 でもアテにして待ってますよ、ハハハ。と背後から大きな声で、なかなか調子が好い。世故に・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・ ないことに、検事がそんな調子でお世辞を云った。「ウ、ウン、元気さ。」 俺はニベもなく云いかえした。――が、フト、ズロースの事に気付いて俺は思わずクスリと笑った。然し、その時の俺の考えの底には、お前たちがいくら俺たちを留置場へ入・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・に花散る容子を御参なれやと大吉が例の額に睨んで疾から吹っ込ませたる浅草市羽子板ねだらせたを胸三寸の道具に数え、戻り路は角の歌川へ軾を着けさせ俊雄が受けたる酒盃を小春に注がせてお睦まじいとおくびより易い世辞この手とこの手とこう合わせて相生の松・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・このおさだの言うことはお世辞にしても、おげんには嬉しかった。四人の小さな甥達はめずらしいおばあさんを迎えたという顔付で、かわるがわるそこへ覗きに来た。 おげんが養子の兄は無事に自分の役目を果したという顔付で、おげんの容体などを弟達に話し・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 見え透いた、下手なお世辞みたいな事まで言うのでした。「お相手をしますわ。」 私の死んだ父が大酒家で、そのせいか私は、夫よりもお酒が強いくらいなのです。結婚したばかりの頃、夫と二人で新宿を歩いて、おでんやなどにはいり、お酒を飲ん・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、トマス、痴の集り、ぞろぞろあの人について歩いて、脊筋が寒くなるような、甘ったるいお世辞を申し、天国だなんて馬鹿げたことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣、左大臣にでもなるつもりなのか・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・自分の椅子に社長をすわらせたつもりにして、その前に帳簿を並べて説明とお世辞の予習をする。それが大きな声で滔々と弁じ立てるのでちっともおかしくなくて不愉快である。これが、もしか黙ってああしたしぐさだけをやっているのであったら見ている観客には相・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
出典:青空文庫