・・・しかし今は…… 陳は身ぶるいを一つすると、机にかけていた両足を下した。それは卓上電話のベルが、突然彼の耳を驚かしたからであった。「私。――よろしい。――繋いでくれ給え。」 彼は電話に向いながら、苛立たしそうに額の汗を拭った。・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・菰の下からは遠目にも両足の靴だけ見えるらしかった。「死骸はあの人たちが持って行ったんです。」 こちら側のシグナルの柱の下には鉄道工夫が二三人、小さい焚火を囲んでいた。黄いろい炎をあげた焚火は光も煙も放たなかった。それだけにいかにも寒・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・陸の方を向いていると向脛にあたる水が痛い位でした。両足を揃えて真直に立ったままどっちにも倒れないのを勝にして見たり、片足で立ちっこをして見たりして、三人は面白がって人魚のように跳ね廻りました。 その中にMが膝位の深さの所まで行って見まし・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ 謂う心は、両足を地面に喰っつけていて歌う詩ということである。実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味ないしはご馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物のごとく、しかく我々に「必要」な詩ということである。――こういう・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 医学生は肌脱で、うつむけに寝て、踏返した夜具の上へ、両足を投懸けて眠って居る。 ト枕を並べ、仰向になり、胸の上に片手を力なく、片手を投出し、足をのばして、口を結んだ顔は、灯の片影になって、一人すやすやと寝て居るのを、……一目見ると・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・治療してもらっているのはどこかの奥さんらしくアッパッパを着て、スリッパをはいた両足をきちんと揃えて、仰向いています。何か日々の営みのなつかしさを想わせるような風情でした。私はふと濡れるような旅情を感ずると、にわかに生への執着が甦ってきました・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ コンクールを受けた連中はいずれもうやうやしく審査員に頭を下げ、そして両足をそろえて、つつましく弾くのだったが、寿子はつんとぎこちない頭の下げ方をして、そしていきなり股をひらいて、大きく踏ん張ると、身体を揺り動かしながら、弾き出すのだっ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ 砂山が急に崩げて草の根で僅にそれを支え、其下が崕のようになって居る、其根方に座って両足を投げ出すと、背は後の砂山に靠れ、右の臂は傍らの小高いところに懸り、恰度ソハに倚ったようで、真に心持の佳い場処である。 自分は持て来た小説を懐か・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ 落葉を踏んで頂に達し、例の天主台の下までゆくと、寂々として満山声なきうちに、何者か優しい声で歌うのが聞こえます、見ると天主台の石垣の角に、六蔵が馬乗りにまたがって、両足をふらふら動かしながら、目を遠く放って俗歌を歌っているのでした。・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・ 与助は、ぴり/\両足を顫わした。「じゃが、」と主人は言葉を切って、「俺は、それを詮議立てせずに、暇を取らせようとするんじゃ。それに、不服があるなら、今すぐ警察へ突き出す。」 急に与助は、おど/\しだした。「いゝえ、もう積金・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
出典:青空文庫