・・・ひらいた窓格子から貧しい内部が覗けるような薄汚い家が並び、小屋根には小さな植木鉢の台がつくってあったりして、なにか安心のできる風情が感じられた。魚の焼く匂いが薄暗い台所から漂うて来たり、突然水道の音が聴えたりした。佐伯は思い掛けない郷愁をそ・・・ 織田作之助 「道」
・・・幸助を中にして三つの墓並び、冬の夜は霙降ることもあれど、都なる年若き教師は源叔父今もなお一人淋しく磯辺に暮し妻子の事思いて泣きつつありとひとえに哀れがりぬ。 紀州は同じく紀州なり、町のものよりは佐伯附属の品とし視らるること前のごとく、墓・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・水枯れし小川の岸に幾株の老梅並び樹てり、柿の実、星のごとくこの梅樹の際より現わる。紅葉火のごとく燃えて一叢の竹林を照らす。ますます奥深く分け入れば村窮まりてただ渓流の水清く樹林の陰より走せ出ずるあるのみ。帰路夕陽野にみつ』 自分は以上の・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・こはいかに、われらの火燃えつきぬと叫べば、童ら驚ろき怪しみ、たち返えりて砂山の頂に集まり、一列に並びてこなたを見下ろしぬ。 げに今まで燃えつかざりし拾木の、たちまち風に誘われて火を起こし、濃き煙うずまき上り、紅の炎の舌見えつ隠れつす。竹・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・土塀、白壁の並び続いた荒町の裏を畠づたいに歩いて、やがて小諸の町はずれにあたる与良町の裏側へ出た。非常に大きな石が畠の間に埋まっていた。その辺で、彼は野良仕事をしている町の青年の一人に逢った。 最早青年とも言えなかった。若い細君を迎えて・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・主意は泰西の理学とシナの道徳と並び行なうべからざるの理を述ぶるにあり。文辞活動。比喩艶絶。これを一読するに、温乎として春風のごとく、これを再読するに、凜乎として秋霜のごとし。ここにおいて、余初めて君また文壇の人たるを知る。 今この夏、ま・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・また、晩ごはんのときには、ひとり、ひとりお膳に向って坐り、祖母、母、長兄、次兄、三兄、私という順序に並び、向う側は、帳場さん、嫂、姉たちが並んで、長兄と次兄は、夏、どんなに暑いときでも日本酒を固執し、二人とも、その傍に大型のタオルを用意させ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・常緑樹林におおわれた、なだらかなすそ野の果ての遠いかなたの田野の向こうには、さし身を並べたような山列が斜め向きに並び、その左手の山の背には、のこぎり歯というよりは乱杭歯のような凹凸が見える。妙義の山つづきであろう。この山系とは独立して右のか・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ われわれ個人にとっていちばん重大なのはわれわれの内部生活における、第一並びに第二の意味における橋の袂である。ここでわれわれは身を投げるか、弁慶の薙刀のさびとなるか、夜鷹に食われるか、それともまた鍋焼うどんに腹をこしらえて行手の旅を急ぐ・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ 降誕祭前一週間ほど、市役所前の広場に歳の市が立って、安物のおもちゃや駄菓子などの露店が並びましたが、いつ行って見ても不景気でお客さんはあまり無いようでした。売り手のじいさんやばあさんも長い煙管を吹かしたり編み物をしているのでありました・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
出典:青空文庫