・・・地震の火事で丸焼けとなったが、再興して依然町内の老舗の暖簾といわれおる。 椿岳の米三郎は早くから絵事に志ざした風流人であって、算盤を弾いて身代を肥やす商売人肌ではなかった。初めから長袖を志望して、ドウいうわけだか神主になる意でいたのが兄・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「いや、岡島さんの家はね、きのうの空襲で丸焼けになったんです。」「それじゃあ、来られない。気の毒だねえ、せっかくのこんないいチャンス、……」 などと言っているうちに、顔は煤だらけ、おそろしく汚い服装の中年のひとが、あたふたと店に・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・しかるに、移転して三月目にその家が焼夷弾で丸焼けになったので、まちはずれの新柳町の或る家へ一時立ち退き、それからどうせ死ぬなら故郷で、という気持から子供二人を抱えて津軽の生家へ来たのであるが、来て二週目に、あの御放送があった、というのが、私・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・私たちは東京で罹災してそれから甲府へ避難して、その甲府でまた丸焼けになって、それでも戦争はまだまだ続くというし、どうせ死ぬのならば、故郷で死んだほうがめんどうが無くてよいと思い、私は妻と五歳の女の子と二歳の男の子を連れて甲府を出発し、その日・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ 私からそれを言い出したのであったが、とにかく一家はそのつもりになって、穴を掘って食料を埋めたり、また鍋釜茶碗の類を一揃、それから傘や履物や化粧品や鏡や、針や糸や、とにかく家が丸焼けになっても浅間しい真似をせずともすむように、最少限度の・・・ 太宰治 「薄明」
出典:青空文庫