・・・僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」 私は格別うれしくもなく、「人非人でもいいじ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ よい友人が得られそうなので、自分も久し振りに張り合いを感じています。やり切れなくなったら、旅行でもしてみたら、どうですか。不一。 二十五日井原退蔵 木戸一郎様 謹啓。 御手紙を、繰り返し拝読いたしました・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・嵐のせいであろうか、或いは、貧しいともしびのせいであろうか、その夜は私たち同室の者四人が、越後獅子の蝋燭の火を中心にして集まり、久し振りで打ち解けた話を交した。「自由主義者ってのは、あれは、いったい何ですかね?」と、かっぽれは如何な・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・なんだか馬鹿らしくて、おかしい事だけれど、先日、主人のお友だちの伊馬さんが久し振りで遊びにいらっしゃって、その時、主人と客間で話合っているのを隣部屋で聞いて噴き出した。「どうも、この、紀元二千七百年のお祭りの時には、二千七百年と言うか、・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・私も立ち上って、彼の手をとり、さすがに笑えなくなって、「あんな女を相手にするな。久し振りじゃないか。たのしく飲もう」 彼は、どたりと腰を下し、「お前たちは、夫婦仲が悪いな? 俺はそうにらんだ。へんだぞ。何かある。俺は、そうにらんだ」・・・ 太宰治 「親友交歓」
上野の近くに人を尋ねたついでに、帝国美術院の展覧会を見に行った。久し振りの好い秋日和で、澄み切った日光の中に桜の葉が散っていた。 会場の前の道路の真中に大きな天幕張りが出来かかっている。何かの式場になるらしい。柱などを・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
今日七軒町まで用達しに出掛けた帰りに久し振りで根津の藍染町を通った。親友の黒田が先年まで下宿していた荒物屋の前を通った時、二階の欄干に青い汚れた毛布が干してあって、障子の少し開いた中に皺くちゃに吊した袴が見えていた。なんだ・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・しかし西洋で二年半暮して帰りに、シヤトルで日本郵船丹波丸に乗って久し振りに吸った敷島が恐ろしく紙臭くて、どうしてもこれが煙草とは思われなかった、その時の不思議な気持だけは忘れることが出来ない。しかしそれも一日経ったらすぐ馴れてしまって日本人・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・何年ぶりかで久し振りに割引電車の赤い切符を手にした時に、それが自分の健康の回復を意味するシンボルのような気がした。御堀端にかかった時に、桃色の曙光に染められた千代田城の櫓の白壁を見てもそんな気がした。 日比谷で下りて公園の入り口を見やっ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 今久し振りにこの図を取出して見ていると三十年前の子規庵の光景がありありと思い出される。御院殿坂に鳴く蜩の声や邸後を通過する列車の騒音を聞くような心持がする。 寺田寅彦 「子規の追憶」
出典:青空文庫