・・・帰るきわに彼は紙入のなかから乗車割引券を二枚、「学校へとりにゆくのも面倒だろうから」と言って堯に渡した。 六 母から手紙が来た。 ――おまえにはなにか変わったことがあるにちがいない。それで正月上京なさる津枝さ・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・の人は、その乗車時間を、楽しむ、とまでは言えないかも知れないが、少なくとも、観念出来る。 この観念出来るということは、恐ろしいという言葉をつかってもいいくらいの、たいした能力である。人はこの能力に戦慄することに於て、はなはだ鈍である。・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・そうとも知らず次に乗車した時にうっかり切符を渡すとこれは鋏が入っていますよと注意されてはなはだきまりの悪い思いをしたそうである。その時の車掌は事柄を全くビジネスとして取扱ったからまだよかったが、隣に坐っていた人が妙にニヤニヤしていたという事・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そうしたためにもしこの僅少な時間を空費したとしても、乗車してからの数十分間にからだを休息させ、こういう時でなければちょっと読む機会のないような種類の読み物を十ページでも読むとすれば、差し引きして、どうしてもこのほうが利益であるとしか思われな・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・上野へ入れば往来の人ようやくしげく、ステッキ引きずる書生の群あれば盛装せる御嬢様坊ちゃん方をはじめ、自転車はしらして得意気なる人、動物園の前に大口あいて立つ田舎漢、乗車をすゝむる人力、イラッシャイを叫ぶ茶店の女など並ぶるは管なり。パノラマ館・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・それらの人々はどんな心持で乗車しているだろう。千何百名とかに、電気局は召集の電報を打ったそうだが、その人をばかにした呼び出しを突っぱねることの出来た者は、果して何割あったろうか。私は、シャツ一枚の運転手や長い脛を力一杯踏ばっても猶よろよろし・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・待っている人々と彼等との違いは、ただ彼等はちっともそれについて心配していないことと、呑気に立って喋舌っていて、相当頻繁にこそこそと入場券購入許可証とゴム印を捺した紙片をもって来る人を、出口から乗車フォームへ通してやっていることだけである。・・・ 宮本百合子 「みのりを豊かに」
出典:青空文庫