・・・ 私の九つ十のころでございます、よく母に連れられて城下から三里奥の山里に住んでいる叔母の家を訪ねて、二晩三晩泊ったものでございます。今日もちょうどそのころのことを久しぶりで思い出しました。今思うと、私が十七八の時分ひとが尺八を吹くのを聞・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・下等八級には九つだの十だのという大きい小供は居なかったので、大きい体で小さい小供の中に交ぜられたのは小供心にも大に恥しく思って、家へ帰っても知らせずに居た。然し此不出来であったのが全く学校なれざるためであって、程なく出来るようになって来た。・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ 運動場は扇形に開いた九つのコンクリートの壁がつッ立ッていて、八つの空間を作っている。その中に一人ずつ入って、走り廻わる。――それを丁度扇の要に当る所に一段と高い台があって、其処に看守が陣取り、皆を一眼に見下している。 俺だちの・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・部屋の数が九つもあって、七十五円なら貸す。それでも家賃が高過ぎると思うなら、今少しは引いてもいいと言われるほど長く空屋になっていた古い家で、造作もよく、古風な中二階などことにおもしろくできていたが、部屋が多過ぎていまだに借り手がないとのこと・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・気の置けないものばかり――娘のお新に、婆やに、九つになる小さな甥まで入れると、都合四人も同じ蚊帳の内に枕を並べて寝たこともめずらしかった。 八月のことで、短か夜を寝惜むようなお新はまだよく眠っていた。おげんはそこに眠っている人形の側でも・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・笠井さんより九つも年下の筈なのであるが、苦労し抜いたひとのような落ちつきが、どこかに在る。顔は天平時代のものである。しもぶくれで、眼が細長く、色が白い。黒っぽい、じみな縞の着物を着ている。この宿の、女中頭である。女学校を、三年まで、修めたと・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ 一九二五年に梅鉢工場という所でこしらえられたC五一型のその機関車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輛ずつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨物三輛と、都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と十万・・・ 太宰治 「列車」
私が九つの秋であった、父上が役を御やめになって家族一同郷里の田舎へ引移る事になった。勿論その頃はまだ東海道鉄道は全通しておらず、どうしても横浜から神戸まで船に乗らねばならぬ。が、困った事には父上の外は揃いも揃うた船嫌いで海・・・ 寺田寅彦 「車」
・・・唐崎はあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅田も石山も粟津もすべて判らず。九つの歳父母に従うて東海道を下りし時こゝの水楼にはやの塩焼の骨と肉とが面白く離るゝを面白がりし事など思い出してはこの頃の吾なつかしく、父母の老い給いぬる今悲しかり・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・今度は八つか九つ位の女の子の顔で眼は全く下向いて居る。額際の髪にはゴムの長い櫛をはめて髪を押さえて居る。四たび変って鬼の顔が出た。この顔は先日京都から送ってもろうた牛祭の鬼の面に似て居る。かようにして順々に変って行く時間が非常に早くかつその・・・ 正岡子規 「ランプの影」
出典:青空文庫