・・・ 先生はこういう風にそれほど故郷を慕う様子もなく、あながち日本を嫌う気色もなく、自分の性格とは容れにくいほどに矛盾な乱雑な空虚にして安っぽいいわゆる新時代の世態が、周囲の過渡層の底からしだいしだいに浮き上って、自分をその中心に陥落せしめ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・「世の中の事は乱雑で法則がないようですがよく御覧になると皆進化の道理に支配されております……進化……分りますか」。まるで赤ん坊に説教するようだ。向は親切に言ってくれるんだから、へーへーと云っているより仕方がない。それはこの婆さんのようにベラ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・まっすぐに進む方向をきめて、頭のなかのあらゆる力を整理することから、乱雑なものにくらべて二割以上の力を得る。そうだあの人たちが女のことを考えたり、お互の間の喧嘩のことでつかう力をみんなぼくらのほんとうの幸をもってくることにつかう。見たまえ、・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・わたしの母が本ずきであったために、父の書斎になっていた妙な長四畳の部屋の一方に、そんな乱雑な、唐紙もついていない一間の本棚があった。わたしの偶然は、そういう家庭の条件と結びついたのだったが、ほかのどっさりの人々の偶然は、どこでどんな条件と結・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・ 顔を洗いに行こうとして、何時ものように籠傍を通ると、今朝はどうしたのか、ひどく粟が乱雑になって居るのに心付いた。籠の中に散って居るばかりか、一尺も間のある床の間まで、黄色い穀粒は飛んで居る。其にも無頓着で、彼等は、清らかな朝日を浴びて・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ 私たちの物理学の世界に対する知識は現象にとりまかれつつ相当乱雑なままに放られていて、たとえば岩波新書の「物理学はいかに創られたか」を、表現が砕けていると同じかみくだく理解の力で読みこなせるものが、私たちの周囲に何人あるだろう。冨山房百・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・そしたら、そこはもう使われていず、窓口から内部をのぞいたら板ぎれなどが乱雑につんであった。七年ばかり前、春から夏、秋、冬と、ちょいちょい通っていた頃は、ここの窓口で特別券を買って昔の新聞などを見た。戦争の間に、ここのしきたりもおのずからかわ・・・ 宮本百合子 「図書館」
・・・弾機もない堅い椅子が四五脚、むき出しの円卓子の周囲に乱雑に置いてあった。その一つを腰の下に引きよせるや否や、ブーキン夫人は新しい勢いで云いだした。「レオニード・グレゴリウィッチ、どうか貴方、可哀そうなマリーナ・イワーノヴナの忠実な騎士に・・・ 宮本百合子 「街」
・・・全体としては恐ろしく乱雑な、半出来の町でありながら、しかもどこかに力を感じさせる不思議な都会が出現したのである。 この復興の経過の間に自分を非常に驚かせたものが一つある。二、三年前の初夏、久しぶりに上京して東京駅から丸の内の高層建築街を・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫