彼は永年病魔と闘いました。何とかしてその病魔を征服しようと努力しました。私も又彼を助けて、共にその病魔を斃そうと勉めましたが、遂に最後の止めを刺されたのであります。 本年二月二十六日の事です。何だか身体の具合が平常と違・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 木村はその後二月ばかりすると故郷へ帰らなければならぬ事になり、帰りました。 そのわけはなんであろうか知りませんが、たぶん学資のことだろうと私は覚えています。そして私には木村が、たといあの時、故郷に帰らないでも、早晩、どこにか隠れて・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国長狭郡東条に貫名重忠を父とし、梅菊を母として生まれ、幼名を善日麿とよんだ。 彼の父母は元は由緒ある武士だったのが、北条氏のため房州に謫せられ、落魄して漁民となったのだといわ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬、美作、備前、讃岐あたりから多くの遍路がくる。菅笠をかむり、杖をつき、お札ばさみを頸から前にかけ、リンを鳴らして、南無大師遍照金剛を口ずさみながら霊場から霊場をめぐりあるく。 この島四国めぐりは・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・ で、世界の魔法について語ったら、一月や二月で尽きるわけのものではない。例えば魔法の中で最も小さな一部の厭勝の術の中の、そのまた小さな一部のマジックスクェアーの如きは、まことに言うに足らぬものである。それでさえ支那でも他の邦でも、それに・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・をいかんせん昔おもえば見ず知らずとこれもまた寝心わるく諦めていつぞや聞き流した誰やらの異見をその時初めて肝のなかから探り出しぬ 観ずれば松の嵐も続いては吹かず息を入れてからが凄まじいものなり俊雄は二月三月は殊勝に消光たるが今が遊びたい盛・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・それほどにして造りあげた帽子も、服も、付属品いっさいも、わずか二月ほどの役にしか立たないとを知った時に私も驚いた。「串談じゃないぜ。あの上着は十八円もかかってるよ。そんなら初めから洋服なぞを造らなければいいんだ。」 日ごろ父一人をた・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・〔明治四十五年二月二十二日、漢學研究會の講演、明治四十五年四月『東亞研究』第二卷第四號〕 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・〔一九二三年二月〕 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・ 恋、かも知れなかった。二月、寒いしずかな夜である。工場の小路で、酔漢の荒い言葉が、突然起った。私は、耳をすました。 ――ば、ばかにするなよ。何がおかしいんだ。たまに酒を呑んだからって、おらあ笑われるような覚えは無え。I can s・・・ 太宰治 「I can speak」
出典:青空文庫