・・・であるから勢いダレる気味があって往々閑却されるが、例えば信乃が故主成氏の俘われを釈かれて国へ帰るを送っていよいよ明日は別れるという前夕、故主に謁して折からのそぼ降る雨の徒々を慰めつつ改めて宝剣を献じて亡父の志を果す一条の如き、大塚匠作父子の・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・彼等の一人なるYから、亡父の四十九日というので、彼の処へも香奠返しのお茶を小包で送って来た。彼には無論一円という香奠を贈る程の力は無かったが、それもKが出して置いて呉れたのであった。Yの父が死んだ時、友人同士が各自に一円ずつの香奠を送るとい・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ と嘆息させたのであるが、その時は幸いに無事だったが、月から計算してみて、七月中旬亡父の三周忌に帰郷した、その前後であるらしい。その前月おせいは一度鎌倉へつれ帰されたのだが、すぐまた逃げだしてき、その解決方に自分から鎌倉に出向いて行ったとこ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・と自分は大急ぎで仕度し、手箱から亡父の写真を取り出して懐中した。 小春日和の日曜とて、青山の通りは人出多く、大空は澄み渡り、風は砂を立てぬほどに吹き、人々行楽に忙がしい時、不幸の男よ、自分は夢地を辿る心地で外を歩いた。自分は今もこの時を・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・私には、なんにも知らせず、それこそ私の好きなように振舞わせて置いてくれましたが、兄たちは、なかなか、それどころでは無く、きっと、百万以上はあったのでしょう、その遺産と、亡父の政治上の諸勢力とを守るのに、眼に見えぬ努力をしていたにちがいありま・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・、謂わばアイコとでも申すべきで、むしろ役人のほうは、その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書の糞暗記に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父の命日にはお墓の掃除などして、大学の・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・明治四十二年六月十九日、青森県北津軽郡金木町に生れた。亡父は貴族院議員、手沼源右衛門。母は高。謙蔵は、その六男たり。同町小学校を経て、大正十二年青森県立青森中学校に入学。昭和二年同校四学年修了。同年、弘前高等学校文科に入学。昭和五年同校卒業・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・よそに嫁いで居る姉が、私の一度ならず二度三度の醜態のために、その嫁いで居る家のものたちに顔むけができずに夜々、泣いて私をうらんでいるということや、私の生みの老母が、私あるがために、亡父の跡を嗣いで居る私の長兄に対して、ことごとく面目を失い、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・お話を持って来て下さったお方が、謂わば亡父の恩人とでもいうような義理あるお方でございましたから、むげに断ることもできず、また、お話を承ってみると、先方は、小学校を出たきりで、親も兄弟もなく、その私の亡父の恩人が、拾い上げて小さい時からめんど・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・ 亡父も照覧。「うちへかえりたいのです。」 柿一本の、生れ在所や、さだ九郎。 笑われて、笑われて、つよくなる。十一日。 無才、醜貌の確然たる自覚こそ、むっと図太い男を創る。たまもの也。十二・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
出典:青空文庫