・・・ その辺から人家は絶えた。吹きつける雪のためにへし折られる枯枝がややともすると投槍のように襲って来た。吹きまく風にもまれて木という木は魔女の髪のように乱れ狂った。 二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安の方に動いて行った。・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・田舎の他土地とても、人家の庭、背戸なら格別、さあ、手折っても抱いてもいいよ、とこう野中の、しかも路の傍に、自由に咲いたのは殆ど見た事がない。 そこへ、つつじの赤いのが、ぽーとなって咲交る。…… が、燃立つようなのは一株も見えぬ。霜に・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ そこに、就中巨大なる杉の根に、揃って、踞っていて、いま一度に立揚ったのであるが、ちらりと見た時は、下草をぬいて燃ゆる躑躅であろう――また人家がある、と可懐しかった。 自動車がハタと留まって、窓を赤く蔽うまで、むくむくと人数が立ちは・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 路の両側しばらくのあいだ、人家が断えては続いたが、いずれも寝静まって、白けた藁屋の中に、何家も何家も人の気勢がせぬ。 その寂寞を破る、跫音が高いので、夜更に里人の懐疑を受けはしないかという懸念から、誰も咎めはせぬのに、抜足、差足、・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・しかし頭を上げて、地平線を望んだけれど、あちらに山の頂と、黒い森と、ぽつりぽつり人家を見るだけで、けっして、そのはてを見ることはできませんでした。また、青い空は、ますます高く、白い雲は、はるかに上を飛んでいるのであって、けっして、自分の頭の・・・ 小川未明 「曠野」
・・・けれど、また町の人家の店頭に巣を造って日が暮れるころになると、みんな家の中の天井の巣の中に入って休みます。そして、夜が明けると外に出て、空や往来の上をひらひらと飛びまわってないているのでありました。 太郎は、ほかの家には、つばめが巣を造・・・ 小川未明 「つばめの話」
・・・けれどいつまでたっても、人家のあるところへは出ませんでした。そして、だんだんさびしくなるばかりでした。雪はだんだん地の上に積もって、どこを見ても、ただ真っ白なばかりであります。小川も、田も、畑も雪の下にうずもれてしまって、どこが路やら、それ・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・しばらくゆくと人家が絶えて路が暗くなり、わずかに一つの電燈が足もとを照らしている、それが教えられた場所であるらしいところへやって来た。 そこからはなるほど崖下の町が一と目に見渡せた。いくつもの窓が見えた。そしてそれは彼の知っている町の、・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・その蔭にちょっぴり人家の屋根が覗いている。そして入江には舟が舫っている気持。 それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。 なにかある。ほんとうになにかがそこにあ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇のなかであった。街道へその家の燈が光を投げている。そのなかへ突然姿をあらわした人影があった。おそらくそれは私と同じように提灯・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
出典:青空文庫