・・・しかしながら人の胸中の人物というものは、胸中の人物として別に自ら成り立って居るものでありまして、胸中の人物であるから世に全く無いものであるという訳にはまいりません。仏教徒は仏教徒の胸中の人物がございます、基督教徒は基督教徒の胸中の人物がござ・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・これらは魔法というべきではなく、神教を精誠によって仰ぐのであるから、魔法としては論ぜざるべきことである。仏教巫徒の「よりまし」「よりき」の事と少し似てはいるであろう。 仏教が渡来するに及んで咒詛の事など起ったろうが、仏教ぎらいの守屋も「・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 考えてみると、僕たちだって、小さい時からお婆さんに連れられてお寺参りをしたり、またお葬式や法要の度毎に坊さんのお経を聞き、また国宝の仏像を見て歩いたりしているが、さて、仏教とはどんな宗教かと外国の人に改って聞かれたら、百人の中の九十九・・・ 太宰治 「世界的」
・・・すべて仏教の焼き直しであると独断していた。 白石のシロオテ訊問は、その日を以ておしまいにした。白石はシロオテの裁断について将軍へ意見を言上した。このたびの異人は万里のそとから来た外国人であるし、また、この者と同時に唐へ赴いたものもあ・・・ 太宰治 「地球図」
・・・ このような思想はまた一面において必然的に仏教の無常観と結合している。これは著者が晩年に僧侶になったためばかりでなく大体には古くからその時代に伝わったものをそのままに継承したに過ぎないであろう。とにかく全巻を通じて無常を説き遁世をすすめ・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・しかし例えば神代や仏教を題材にとったのや武将や詩人を題にしたので失望しなかった例は思い出せない。今の人間には崇高や壮大と名づけられる種類の美は何らかの障礙のために拒まれているのだろうか。 日本画部から受けた灰色の合成的印象をもって洋・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・それが仏教の渡来ということもあいまってわが国におけるこれらのゲームの絶滅をかろうじて阻止することができたのかもしれない。 水産生物の種類と数量の豊富なことはおそらく世界の他のいかなる部分にもたいしてひけを取らないであろうと思われる。これ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・時勢の変転して行く不可解の力は、天変地妖の力にも優っている。仏教の形式と、仏僧の生活とは既に変じて、芭蕉やハアン等が仏寺の鐘を聴いた時の如くではない。僧が夜半に起きて鐘をつく習慣さえ、いつまで昔のままにつづくものであろう。 たまたま鐘の・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・というあたりの節廻しや三味線の手に至っては、江戸音曲中の仏教的思想の音楽的表現が、その芸術的価値においてまさに楽劇『パルシフヮル』中の例えば「聖金曜日」のモチイブなぞにも比較し得べきもののように思われるのであった。四 諦める・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・支那の思想は老荘と仏教とを混和した宋以後のものである。西洋の思想は十九世紀のロマンチズムとそれ以後の個人主義的芸術至上主義とである。わたくしの一生涯には独特固有の跡を印するに足るべきものは、何一つありはしなかった。 日本の歴史は少年のこ・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫