・・・この聖徒の我々に残した『伝説』という本を読んでごらんなさい。この聖徒も自殺未遂者だったことは聖徒自身告白しています。」 僕はちょっと憂鬱になり、次の龕へ目をやりました。次の龕にある半身像は口髭の太い独逸人です。「これはツァラトストラ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・こう云う傾向の存する限り、絵画から伝説を駆逐したように、文芸からも思想を駆逐せんとする、芸術上の一神論には、菊池の作品の大部分は、十分の満足を与えないであろう。 この二点のいずれかに立てば、菊池寛は芸術家かどうか、疑問であると云うのも困・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・日本もまた小児に教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている。たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?「大唐の軍将、戦艦一百七十艘を率いて白村江・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・神学と伝説から切り放された救世の姿がおぼろながら私の心の中に描かれて来るのを覚えます。感動の潜入とでも云えばいいのですか。 何と云っても私を強く感動させるものは大きな芸術です。然し聖書の内容は畢竟凡ての芸術以上に私を動かします。芸術・・・ 有島武郎 「『聖書』の権威」
・・・ 場所は、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処に、昔から伝説を持った大な一面の石がある――義経記に、……加賀国富樫と言う所も近くなり、富樫の介と申すは当国の大名なり、鎌倉殿より仰は蒙らねども、内・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 二条ばかりも重って、美しい婦の虐げられた――旧藩の頃にはどこでもあり来りだが――伝説があるからで。 通道というでもなし、花はこの近処に名所さえあるから、わざとこんな裏小路を捜るものはない。日中もほとんど人通りはない。妙齢の娘でも見・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ この二股坂と言うのは、山奥で、可怪い伝説が少くない。それを越すと隣国への近路ながら、人界との境を隔つ、自然のお関所のように土地の人は思うのである。 この辺からは、峰の松に遮られるから、その姿は見えぬ。最っと乾の位置で、町端の方へ退・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 彼は、子供の時分から、よくきいた、伝説を思い出したのでした。「以前は、よくこの池に金の鶏が浮いたそうです。なんでも、お天気のいい、静かな日にゆくと、金の鶏が、水の面に浮いているが、人の足音がすると、その鶏の姿は、たちまち水の中に消・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・ 私は、民謡、伝説の訴うる力の強きを感ずる。意識的に作られたるにあらずして、自然の流露だからだ。たゞちに生活の喜びであり、また、反抗、諷刺である。いかなる有名の詩人が、これ以上の表現をなし得たであろうか? いかなる天才が、これに優れる素・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
・・・私は都会の寒空に慄えながら、ずいぶん彼女たちのことを思ったのだが、いっしょに暮すことができなかったので、私は雪おんなの子を抱いてやるとその人は死ぬという郷里の伝説を藉りて、そうした情愛の世界は断ち切りたいと、しいて思ったものであった。「雪子・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫