・・・を遂げた話や、パトリック上人の浄罪界の話を経て、次第に今日の使徒行伝中の話となり、進んでは、ついに御主耶蘇基督が、ゴルゴダで十字架を負った時の話になった。丁度この話へ移る前に、上人が積荷の無花果を水夫に分けて貰って、「さまよえる猶太人」と一・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ 人類の真の平和が、強権下には、決して、見られないであろうごとく、主義に囚えられたる芸術に、いつの日か、吾人は、人生に対する自由の使徒たることを信じ得よう。 過去に於て、我等を魅し、勇気づけたものは、かかる知識的なそれでなかった。実・・・ 小川未明 「単純化は唯一の武器だ」
・・・ 近代科学の使徒の一人が、堯にはじめてそれを告げたとき、彼の拒否する権限もないそのことは、ただ彼が漠然忌み嫌っていたその名称ばかりで、頭がそれを受けつけなかった。もう彼はそれを拒否しない。白い土の石膏の床は彼が黒い土に帰るまでの何年かの・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・『モダンペーンター』の著者ラスキンはまた熱心な善の使徒であった。美のセンスと善のセンスとがともに強く、深く、濃まやかであることが第一流の人間としての欠くべからざる教養である。 自分如きも文芸家となったけれども、学窓にあったときには最も深・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・それにつけても今の日本の非常の時に、これほどの烈々たる情熱ある精神の使徒を私は期待することを禁じ得ない。 当局及び諸宗は震駭した。中にも極楽寺の良観は、日蓮は宗教に名をかって政治の転覆をはかる者であると讒訴した。時節柄当局の神経は尖鋭と・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・我は教うるに足らぬ者なれども、何事にもかの大使徒たちに劣らざりしなり。」と愚痴に似た事をさえ、附け加えている。そうして、おしまいには、群集に、ごめんなさい、ごめんなさいと、あやまっている。まるで、滅茶苦茶である。このコリント後書は、神学者た・・・ 太宰治 「パウロの混乱」
・・・そうしてまた、十二の使徒のそれぞれの利己的なる崇敬の念をも悉知していた。よし。これを一つ、日本浪曼派の同人諸兄にたのんで、芝居をしてもらおう。精悍無比の表情を装い、斬人斬馬の身ぶりを示して居るペテロは誰。おのれの潔白を証明することにのみ急な・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・するのも、畢竟は思想のニコルが直角だけ回ったようなものかもしれない。使徒ポールの改宗なども同様な例であろう。耶蘇の幽霊に会ってニコルが回ったのである。しかしどちらへ曲げても結局偏光は偏光である。すべての人間が偏光ばかりで物を見ないで、かたよ・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・四月二十五日 十二使徒という名の島を右舷に見た。それを通り越すと香炉のふたのような形の島が見えたが名はわからなかった。 一等客でコロンボから乗った英国人がけさ投身したと話していた。妻と三人の子供をなくしてひとりさびしく故国へ帰る・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 楠さんも、この不良と目された不幸な青年も夭死してとくの昔になくなったが、自分の思い出の中には二人の使徒のように頭上に光環をいただいて相並んで立っているのである。この二人は自分の幼い心に翼を取りつけてくれた恩人であった。 楠さんの弟・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
出典:青空文庫