・・・壁が破れても修繕はしてくれず、家賃ばかり矢の催促にくる大家に対して、借家人同盟の長屋委員会をつくろう等という考えは起さず、壁の穴へは、色紙一枚に雀一羽描いて何百円とかとる竹内栖鳳などというブル絵描きのあやしげな複製でもおとなしくはりつけて、・・・ 宮本百合子 「『キング』で得をするのは誰か」
・・・門構えで、総二階で、ぽつんとそういう界隈に一軒あるしもたやは何となし目立つばかりでなく、どう見ても借家ではないその家がそこに四辺を圧して建てられていることに、云わばその家の世路での来歴というようなものも察しられる感じなのである。 何年も・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・ この家に移ったとき、火災保険の外交員が訪ねて来た。借家だときいて一時に索然とした表情になったが、思い直して動産保険をすすめた。そのとき、東京市内で保険率の少い区の名を云った。本郷や上落合はその中にこめられていた。保険には入らなかったが・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・その大家が本庄という軍人で、その人は満州に行っており、細君がしっかり者で借家の監督をやっている。その人から借りたわけでしたが、当時はぼんやりしていたが、満州事件が起ってから新聞で見ると、かつて大家であった本庄という軍人は、外ならぬ関東軍指令・・・ 宮本百合子 「「伸子」について」
・・・ 二 家賃 おそろしい住宅難の折から、きのうきょう厚生省と警視庁との意見にくいちがいが示されている適正家賃算出法の問題は、日本全国の借家人が注意をあつめて成行きを案じていることがらだと思う。 日本全国の人口・・・ 宮本百合子 「私の感想」
・・・木村の借家から電車の停留場まで七八町ある。それを歩いて行くと、涼しいと思って門口を出ても、行き着くまでに汗になる。その事を思ったのである。 縁側に出て顔を洗いながら、今朝急いで課長に出すはずの書類のあることを思い出す。しかし課長の出るの・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・鍛冶町に借家があるというのを見に行く。砂地であるのに、道普請に石灰屑を使うので、薄墨色の水が町を流れている。 借家は町の南側になっている。生垣で囲んだ、相応な屋敷である。庭には石灰屑を敷かないので、綺麗な砂が降るだけの雨を皆吸い込んで、・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・ 私は借家に帰ると、古袷を一枚女中に持たせて、F君の所へ遣った。五十日分の宿料を払って、会話辞書を買っては、君の貰った月給は皆無くなって、煙草もやたらには呑まれぬわけだと思ったからである。 ――――――――――――・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・ お佐代さんを呼び迎えたのは、五番町から上二番町の借家に引き越していたときである。いわゆる三計塾で、階下に三畳やら四畳半やらの間が二つ三つあって、階上が斑竹山房のへんがくを掛けた書斎である。斑竹山房とは江戸へ移住するとき、本国田野村字仮・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・新片町や飯倉片町の家は、借家であって、藤村の好みによった建築ではないが、しかしああいう場所の借家を選ぶということのなかに、十分に藤村の好みが現われているのである。随筆集の一つを『市井にありて』と名づけている藤村の気持ちのうちには、その好みが・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫