・・・自分なぞはいわゆる茶の湯者流の儀礼などは塵ばかりも知らぬ者であるけれども、利休がわが邦の趣味の世界に与えた恩沢は今に至てなお存して、自分らにも加被していることを感じているものである。かほどの利休を秀吉が用いたのは実にさすがに秀吉である。利休・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 私たち夫婦のこんな軽薄きわまる社交的な儀礼も、彼にとってまんざらでもなかったらしく、得意満面で、「やあ、固苦しい挨拶はごめんだ。奥さん、まあ、こっちへずっと寄ってお酌をしてください」彼もまた、抜けめのない社交家であった。蔭では、か・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・その矛盾から男女というと、何となく特別な儀礼的な方法や気分が予想される。外国映画などで目から入ることの外見だけの模倣が現われる。そういうエティケット風な外国の模倣が続くのは特に日本では四十にならないまでのことである。家庭をもって生活してゆけ・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ それから芸術的に言って、最も戒心のいるのは、アララギ流の儀礼による作歌の場合です。 この三つの点を相互に縫って流れているものの間に、こんにちのアララギ歌人すべての課題がひそんでいると感じます。現代は、アララギがかつて現代短歌史にわ・・・ 宮本百合子 「歌集『仰日』の著者に」
・・・したがって程よい時間が経つと、自然私がもうお暇しなくてはいけないのだな、とさとるような雰囲気が生み出されたのも肯けるが、そのときの私としては、そういう一通り整った儀礼のこちら側では何としても表現も出来ずうち破ることも出来ない何ものかが心にの・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・ 英本国とインドとの関係、それにつれてのインド王族らに対する外交的儀礼をケムブリッジの学生らの若さが揶揄するところ、到って興が深い。更にこれらの若者が長じていつしかこの市長の役を演ずるに至るであろう過程に於て、罪なき笑劇は悲劇にかわ・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・列は、儀礼と礼節とのためにもつくられるけれど、列が生じるのは、一に対する十の必要が動機である。そこに列の生きて脈搏つ真の動脈がひそめられている。その脈搏は生きものだから、事情によっては搏ちかたも変って来る。列というものは元来が案外動的な本質・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
・・・父は自分から興にのってそれを云ったのだけれど、当の若い客の方は、いかにも長上に対する儀礼的な身のこなしで片足を引きつけるようにして、無言のまま軽く優雅に頭を下げることでその冗談に答えた。 些細な場面であるが、ふだんそういう情景から離れて・・・ 宮本百合子 「わが父」
出典:青空文庫