・・・『集団行進』の中に辛うじて二人の先達を送った婦人の大衆はまだまだ「やさしい婦人の歌心」という程度のところに引止められていて、生活のあらゆる重荷にひしがれながらせめてもの息のつきどころ、自分ひとりの金のかからない慰め、現実からの逃げ場所として・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・その一つは、ゴーリキイを無条件にプロレタリア作家の先達であり、父であると見る態度であり、他の一つは、それに対してやや皮肉に、ゴーリキイが偉いというのは成程そうであろう、だが他にもっと偉い作家というのは何人かいる。何もゴーリキイがなくたってや・・・ 宮本百合子 「「ゴーリキイ伝」の遅延について」
・・・ 先達って何かの雑誌に一九三五年型の映画女優という写真が出ていた。名を忘れたけれども二人の女優のどちらもカスリン・ヘップバーンをもっと鋭角的に直線的に削ったような顔だちであった。一見中性的で、或るかたさ、つめたさが漂っていながら、しかも・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・ ルソウは、その文筆的労作の中で、人間を自然の一部としてみ、神話を自然からぬぎすてさせた先達の一人であったが、彼の時代においては、自然を変革してゆこうとする人間の積極的な科学的な社会性の面から自然にとりあげられ得なかった。神学的、宮廷的・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・特につい先達って築地の小劇場で新協が演じたアンナ・カレーニナを観た女のひとたちの心に。アンナがカレーニンと離婚することが出来なかった原因はいくつかあるが、その一つは、うたがいもなく可愛い息子セリョージャを全くカレーニンにうばわれてしまう苦痛・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・ どんなことが来ようと、自分は決して顔をそむけまいという意志は強かった。 先達のない山路を、どうにかして、一歩でも昇ろうとする努力は確かに勇ましかった。 けれども、その不断の力の緊張は、やがて驚くべき苦痛をもって現われて来たので・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・そして、皆の、賑やかな、笑い、喋る姿を見ると、ふと自分の心に、先達っての名が浮んで来た。私は、幹事をしていた人に、「先達ってのお葉書ね、私、深田さんという方が、どなただか、まるで分らないからあのままにしてしまったけれど。どなた?」と訊い・・・ 宮本百合子 「追想」
・・・ 坪内先生は非常に聰明な資質の先達者であった。正宗白鳥氏が先日、逍遙博士は文学の師であるばかりでなく生死に処する道を教えた方であるという感想を書いておられたが、私は坪内先生の一生をあるべきとこにあって完璧たらしめた先生の聰明、努力、達見・・・ 宮本百合子 「坪内先生について」
・・・と伯父さんに口伝して私は又家に戻って帰ったら翌日の晩、「先達ってはどうも……あした朝九時で立ちます。前の家で借りてるんですから……さようなら」 これだけを、あの人は細い金属を通して私に云ったきりで行ってしまった。 私とあの人・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・その世界では彼らは皆私の先達であった。彼らは私の眼に、世界と人間とが尽くることなき享楽の対象であることの、具体的な証左であった。そのころの私には Sollen の重荷に苦しむ人が笑うべく怯懦に見えた。享楽に飽満しない人が恐ろしく貧弱に見えた・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫