・・・砂の上をはっている甲虫で頭が黒くて羽の煉瓦色をしているのも二三匹見かけた。コメススキや白山女郎花の花咲く砂原の上に大きな豌豆ぐらいの粒が十ぐらいずつかたまってころがっている。蕈の類かと思って二つに割ってみたら何か草食獣の糞らしく中はほとんど・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・自分はそっとこの甲虫をつまみ上げてハンケチで背中の泥を拭うていると、隣の女が「それは毒虫じゃありませんか」と聞いた。虫をハンケチにくるんでカクシに押し込んでから自分はチェスタートンの『ブラウン教父の秘密』の読みかけを読みつづけた。 研究・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ 中川紀元氏の裸体画を見ていると、何だかある甲虫を聯想するが、何だという事が、はっきり思い出せない。この聯想はあるいは主としてあの女の右の足から来るのかもしれない。この絵などが、自分にはあまり楽しめない方の部類に属する。 展・・・ 寺田寅彦 「二科会展覧会雑感」
・・・蝶蛾や甲虫類のいちばんたくさんに棲んでいる城山の中をあちこちと長い日を暮らした。二の丸三の丸の草原には珍しい蝶やばったがおびただしい。少し茂みに入ると樹木の幹にさまざまの甲虫が見つかる。玉虫、こがね虫、米つき虫の種類がかずか・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・それと直交し弓なりに立って見える呉服橋通りの道路を、緑色の電車のほかに、白、赤、青、緑のバスが奇妙な甲虫のようにはい上りはいおり行きちがっている。遠くにはお城の角櫓が見え、その向こうには大内山の木立ちが地平線を柔らかにぼかしている。左のほう・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・その一つのあかりに黒い甲虫がとまってその影が大きく天井にうつっていたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらいながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かわるがわる窓の外から光・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ポーセがせっかく植えて、水をかけた小さな桃の木になめくじをたけておいたり、ポーセの靴に甲虫を飼って、二月もそれをかくしておいたりしました。ある日などはチュンセがくるみの木にのぼって青い実を落していましたら、ポーセが小さな卵形のあたまをぬれた・・・ 宮沢賢治 「手紙 四」
・・・俄かにどこからか甲虫の鋼の翅がりいんりいんと空中に張るような音がたくさん聞えてきました。 その音にまじってたしかに別の楽器や人のがやがや云う声が、時々ちらっときこえてまたわからなくなりました。 しばらく行ってファゼーロがいきなり立ち・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・一疋の甲虫が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。 雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいようです。よだかはむねがつか・・・ 宮沢賢治 「よだかの星」
・・・文化的な仕事しかしていない東宝という映画製作所の闘争で、数千の武装警官と機銃をのせた甲虫が登場した光景は、フィルムにもおさめられた。言論の自由が民主的発言にたいしても、百パーセントの実効をあたえているだろうか。減刑運動という名のもとに、日本・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
出典:青空文庫