・・・あれはこの動物にとっては全く飼主の曲馬師から褒美の鮮魚一尾を貰うための労役に過ぎないであろうが、娯楽のために入場券を買ってはいった観客の眼には立派な一つの球技として観賞されるであろう。不思議なのはこの動物にそういう芸を仕込まれ得る素質がどう・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・ これらの観客はたぶんこうして泣きたいために忙しい中を繰り合わせ、乏しい小使い銭を都合して入場しているものと思われる。こうして芝居を見ながら泣くということは、それほどに望ましい本能的生理的欲求であるらしい。 人間はなぜ泣くか、泣くと・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 開場前四十分ほどだのにもうかなり入場者があった。二階の休憩室には色々な飾り物が所狭く陳列してあって、それに「花○喜○丈」と一々札がつけてある。一座の立役者Hの子供の初舞台の披露があるためらしい。ある一つの大きな台に積上げた品物を何かと・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・それから画伯デュラーの住居の跡も見ましたが、そこの入場券が富札になっています。名高い古城の片すみには昔の刑具を陳列した塔があります。色の青い小さい女が説明して歩く。いっしょに見て歩いた学生ふうの男がこの案内者に「お前さんのように毎日朝から晩・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・もうそこがポンペイの入り口である。入場料を払って関門を入ると、そこは二千余年前の文化の化石で、見渡す限りただ灰白色をした低い建物の死骸である。この荒涼な墓場の背景には、美しい円錐火山が、優雅な曲線を空に画してそびえていた。空に切れ切れな綿雲・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・昨年の会など、見ているうちに何だか少しむっとするような気がして来てとうとう碌に見ないで帰って来て、それきりもう二度とは入場しなかったくらいである。勿論これは二科会の責任ではなくてただ自分という一人の人間の勝手な気持によるものである。しかし今・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・ そのころ音楽会と言えば、音楽学校の卒業式の演奏会が唯一の呼び物になったがこれは自分らには入場の自由が得られなかった。そのほかには明治音楽会というのがあって、このほうは切符を買ってはいる事ができた。半分は管弦楽を主とした洋楽で他の半分は・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・何のために茲に来るのかと駅夫に訊問された時の用意にと自分は見送りの入場券か品川行の切符を無益に買い込む事を辞さないのである。 再びいう日本の十年間は西洋の一世紀にも相当する。三十間堀の河岸通には昔の船宿が二、三軒残っている。自分はそ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・った間に小川が流れ込んでいた全くの田園で、菖蒲を植えた庭も四、五カ処はあって、いずれも風流を喜ぶ人にはその名を知られていたが、田が埋められて町になると、今では一、二カ処しか残っていず、しかも割合に高い入場料をさえ払わねばならないようになって・・・ 永井荷風 「向島」
・・・もらうことも度々になったので、去年の正月も七草を過ぎたころ、見物に出かけた、その時木馬館の後あたりに小屋掛をして、裸体の女の大勢足をあげて踊っている看板と、エロス祭と大書した札を出しているのがあった。入場料は拾円で、蓄音機にしかけた口上が立・・・ 永井荷風 「裸体談義」
出典:青空文庫