・・・ 僕はそれを聞いて、全身に冷水をあびせられたような気がして立ちすくんだ。悪かった悪かった、悪かった、悪かった、千べん言っても追っつかないような気がした。雀じゃないわよ、という無邪気な一言が、どのような烈しい抗議よりも鋭く痛くこたえた。ツ・・・ 太宰治 「雀」
・・・花束を持って歩くことと、それから、この、失恋自殺と、二つながら、中学校、高等学校、大学まで、思うさえ背すじに冷水はしるほど、気恥ずかしき行為と考えていましたところ、このごろは、白き花一輪にさえほっと救いを感じ、わが、こいこがれる胸の思いに、・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・考えただけでも、背中に冷水をかけられたように、ぞっとして、息がつまる。けれども私は、やっぱり誰かを待っているのです。いったい私は、毎日ここに坐って、誰を待っているのでしょう。どんな人を? いいえ、私の待っているものは、人間でないかも知れない・・・ 太宰治 「待つ」
・・・全身に冷水を浴びせられた気持でした。老婆が、魔法使いの老婆が、すぐ背後に、ひっそり立っていたのです。「何しに来た!」王子は勇気の故ではなく、あまりの恐怖の故に、思わず大声で叫びました。「娘を助けに来たのじゃないか。」老婆は、平気な口・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・神経衰弱か何かの療法に脊柱に沿うて冷水を注ぐのがあったようであるが、自分の場合は背筋のまん中に沿うて四五寸の幅の帯状区域を寒気にさらして、その中に点々と週期的な暑さの集注点をこしらえるという複雑な方法を取ったわけである。そういう、西洋のえら・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・宅では何も知らぬ母がいろいろ涼しいごちそうをこしらえて待っていて、汗だらけの顔を冷水で清め、ちやほやされるのがまた妙に悲しかった。 五 芭蕉の花 晴れ上がって急に暑くなった。朝から手紙を一通書いたばかりで・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・「裏へ出て、冷水浴をしていたら、かみさんが着物を持って来てくれた。乾いてるよ。ただ鼠色になってるばかりだ」「乾いてるなら、取り寄せてやろう」と碌さんは、勢よく、手をぽんぽん敲く。台所の方で返事がある。男の声だ。「ありゃ御者かね」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・名利を思うて煩悶絶間なき心の上に、一杓の冷水を浴びせかけられたような心持がして、一種の涼味を感ずると共に、心の奥より秋の日のような清く温き光が照して、凡ての人の上に純潔なる愛を感ずることが出来た。特に深く我心を動かしたのは、今まで愛らしく話・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・が、彼はこんどはいきなり冷水をぶっかけられたように、ゾッとしはしたが千二百十三、千二百十四と、数珠をつまぐるように数え続けた。そして身動き一つ、睫毛一本動かさないで眠りを装った。 電燈がパッと、彼の瞼を明るく温めた。 再び彼の体を戦・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・衣服は第一流の裁縫師に拵えさせる。冷水浴をして sport に熱中する。昔は Monsieur de Voltaire, Monsieur de Buffon だなんと云って、ロオマンチック派の文士が冷かしたものだが、ピエエルなんぞはたしか・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫