・・・よい初春が来るよう。萱野鉄平。」 月日。「先日、お母上様のお言いつけにより、お正月用の餅と塩引、一包、キウリ一樽お送り申しあげましたところ、御手紙に依れば、キウリ不着の趣き御手数ながら御地停車場を御調べ申し御返事願上候、以上は奥・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そういう考えから、素人の道楽半分に少しばかり調べてみた結果をこの昭和三年の初春のにぎわいまでに書いてみる。もちろん玄人筋の考証家には一笑の値もないものであろう。 三弦、三線、三皮前、三びせんなどいろいろの名がある。『嬉遊笑覧』や『松屋三・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・無論その間ぎわの数日の気温の高低はかなりの影響をもつには相違ないが、それにしてもこの現象を決定する因子はその瞬間の気象要素のみではなくて、遠くさかのぼれば長い冬の間から初春へかけて、一見活動の中止しているように見える植物の内部に行なわれてい・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・ 今、実例をツルゲーネフに取ってこれを云えば、彼の詩想は秋や冬の相ではない、春の相である、春も初春でもなければ中春でもない、晩春の相である、丁度桜花が爛と咲き乱れて、稍々散り初めようという所だ、遠く霞んだ中空に、美しくおぼろおぼろとした・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・ 新らしい私の部屋新らしい六畳の小部屋わたしの部屋正面には清らかな硝子の出窓をこえて初春の陽に揺れる松の梢や、小さな鑓飾りをつけた赤屋根の斜面が見える。左手には、一間の廊下。朝日をうけ、軽らかな・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・ これらの写真にのぼされている女の生活の姿は、昨今歳暮気分に漲って、クリスマスのおくりものや、初春の晴着の並べられている街頭の装飾と、何という際立った対照をなしている事であろう。 先頃前進座で「噛みついた娘」という現代諷刺喜劇が上演・・・ 宮本百合子 「暮の街」
・・・一九三〇年の初春に行われたラップの大会は、歓喜をもってこの事実を認めた。芸術を「生産の場所へ!」というスローガンは全くこの社会的現実を基礎としたものであった。 一方では職業的作家たちが、書斎から出て社会主義社会建設の現実的根拠地である生・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 向うの青々した山の裾まで、かるく、ゆれて、ホンノリとして見えるので、まるで初春の雲雀でも鳴いて居る時の様に思われる。 まだ三※日がすまないので、漁船は皆浜に上って居て、胴の間に船じるしの「のぼり」と松が立ててあるその下で、「あさぎ・・・ 宮本百合子 「冬の海」
・・・しかし初春の狂言には曽我を演ずるを吉例としてある。曽我は敵討で、敵を討てば人死のあることを免れない。況や鴎外漁史は一の抽象人物で、その死んだのは、児童の玩んでいた泥孩が毀れたに殊ならぬのだ。予は人の葬を送って墓穴に臨んだ時、遺族の少年男女の・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・それにしても、何よりも美しかった栖方のあの初春のような微笑を思い出すと、見上げている空から落ちて来るものを待つ心が自ら定って来るのが、梶には不思議なことだった。それはいまの世の人たれもが待ち望む一つの明めいせきはんだんに似た希望であった。そ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫