・・・彼女は、真正面に目を据え、上気せ上った早口で、昨夜良人と相談して置いた転地の話を前提もなしに切り出した。 彼女のむきな調子には何か涙が滲む程切迫つまったところがあった。余程急に出立でもしなければならないのか、又はその転地が夫婦にとって余・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ だけれども、そうして優生結婚、健全結婚が慫慂されるとき、今日の結婚論は、人間と人間との間にある愛として、結婚に入る門口として、互の理解の大切さを前提しないのはどういうわけなのだろう。 優良馬の媾配であるならば血統の記録を互に示し合・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・戦争はいやですわねえ、といいつつ、そのいやなものが強制されればやむを得ないと、屈伏する前提ででもあるかのように、ひそひそと私語がかわされていた。したがって、社会の心理に及ぼす効果をしらべると、戦争なんて、いやですわねえ、とあっちできこえこち・・・ 宮本百合子 「今年のことば」
・・・そして、これは決して、文学の専門的な何かを前提とするものではなくて、作家と作品の間にある血液循環、細胞関係の必然の結果であり、人間的な総括的な直感である。この事実は日頃あらゆる人々の経験しているところであると思う。 かの子さんの小説は、・・・ 宮本百合子 「作品の血脈」
・・・私斯様な前提を置いてから、少し許り、私がこちらへ来てから「私」の感じた事を書いて行こうとして居ります。 可成種々あるような気も致します、が、先ず同性と云う点から、こちらの婦人に就いて私の思ったままを述べさせて戴きましょう。 厨川白村・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・という定義は、あらゆる論議以前の芸術の本質として認めていたと思う。ところが、この度登場した民衆の文学論は「民衆というものは客観的には存在しない」という前提に立って、文学の対象としての本質的な存在を抹殺しつつ、民衆にとって現実への批判精神など・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・が要求している賃金、待遇改善の問題、家事の社会化の実現などは、婦人の二十四時間の内容を男の二十四時間の内容と、おのずからのちがいはありながらも、その社会的質の高さでは等しくしてゆくために、絶対に必要な前提条件である。 あらゆる文化の基本・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・教育委員の選挙に、保守的な人ばかりが多数を占めた事実は、教育の前提として平和を求めている候補者は、アカらしい、と思われたのかもしれない。このPTAの親たちが、真実子供の将来について関心をもつならば、親としての自分たちが、平和についてどう考え・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・自分の力の極限を経験することは、やがてその極限を乗り超える事の前提である。我を滅し得ず、愛の力の足りないという悔いは、我を滅して大いなる愛の力に動くことの準備である。 自己否定は今の自分にとっては要求である。しかしこの要求が達せられた時・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・この作は明らかに次いで現われた『明暗』の前提をなしている。『明暗』においては利己主義の描写が辛辣をきわめているにかかわらず、作者は各人物を平等に憐れみいたわっている。そうして天真な心による利己主義の征服を暗示するのみならず、一歩一歩その征服・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫