・・・が彼は思いもかけず自分の前途に一道の光明を望みえたような軽い気持になって、汽車の進むにしたがって、田圃や山々にまだ雪の厚く残っているほの白い窓外を眺めていた。「光の中を歩め」の中の人々の心持や生活が、類いもなく懐しく慕わしいものに思われた。・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・かかる間に卓上の按排備わりて人々またその席につくや、童子が注ぎめぐる麦酒の泡いまだ消えざるを一斉に挙げて二郎が前途を祝しぬ。儀式はこれにて終わり倶楽部の血はこれより沸かんとす。この時いずこともなく遠雷のとどろくごとき音す、人々顔と顔見合わす・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。『大いなる事業』ちょう言葉の宮の壮麗しき台を金色の霧の裡に描・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・多年の苦学と、前途の希望が中断されるというのがその理由である。そこにも、支配階級の立場と、当時の進取的な、いわゆる立身成功を企図したブルジョアイデオロギーの反映がある。「愛弟通信」を読み終って、これが、新聞への通信ということに制約された・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ ところが晩成先生は、多年の勤苦が酬いられて前途の平坦光明が望見せらるるようになった気の弛みのためか、あるいは少し度の過ぎた勉学のためか何か知らぬが気の毒にも不明の病気に襲われた。その頃は世間に神経衰弱という病名が甫めて知られ出した時分・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・市を出はずるる頃より月明らかに前途を照しくるれど、同伴者も無くてただ一人、町にて買いたる餅を食いながら行く心の中いと悲しく、銭あらば銭あらばと思いつつようよう進むに、足の疲れはいよいよ甚しく、時には犬に取り巻かれ人に誰何せられて、辛くも払暁・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・次郎のいないあとは、にわかに家も寂しかろうけれど、日ごろせせこましく窮屈にのみ暮らして来た私たちの前途には、いくらかのゆとりのある日も来そうになった。私は私で、もう一度自分の書斎を二階の四畳半に移し、この次ぎは客としての次郎をわが家に迎えよ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・いつまでも処女で年ばかり取って行くようなお新の前途が案じられてならなかった。お新は面長な顔かたちから背の高いところまで父親似で、長い眉のあたりなぞも父親にそっくりであった。おげんが自分の娘と対いあって座っている時は、亡くなった旦那と対いあっ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・で下車し、そこから五能線に乗りかえ、謂わば、青森県の裏口からはいって行って五所川原駅で降りて、それからいよいよ津軽鉄道に乗りかえて生れ故郷の金木という町にたどり着くという段取りであったのですが、思えば前途雲煙のかなたにあり、うまくいっても三・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・子供の騒ぎ廻る部屋にて仕事をするはいたく難儀にして、引越そうか、とふっと思う事あれども、わが前途の収入も心細ければ、また、無類のおっくうがりの男なれば、すべて沙汰やみとなるなり。一部屋欲しと思う心はたしかにあり。居宅に望なき人の心境とはおの・・・ 太宰治 「花吹雪」
出典:青空文庫