・・・ソコデ人間の世界に生れて来るのも単に螺旋的にヒョコリと出て来るのサ、そうして人間の意思動作もすべて螺旋的にぐるぐるまわッているのサ。社会の栄枯盛衰も螺旋的にぐるぐるまわッているのだよ。易なんぞというものは感心な奴で、初爻と上爻とが首尾相呼ん・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・その一つ一つの動作をしている同志の気持が、そのまゝ俺に来るのだ。 同志は何処にでもいるんだ、何よりそう思った。一度、本を読むのに飽きたので、独房の壁の中を撫でまわして、落書を探がしたことがある。独房は警察の留置場とちがって、自分だけしか・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・そういう動作をしているお前の妹の顔は、お前が笑うような形容詞を使うことになるが、紙のように蒼白だった。しかし、それは本当にしっかりした、もの確かな動作だったよ。特高が入ってきて、妹を見ると、「よウ!」と云った。妹は唇のホンの隅だけを動かして・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・決闘ということが、何だか、食後の運動くらいの軽い動作のように思われて来た。やってみようかなあ。私は殺される筈がない。あの男の話によれば、先方の女は、今日はじめて、拳銃の稽古をしていたというではないか。私は学生倶楽部で、何時でも射撃の最優勝者・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・鉄棒にぶらさがっても、そのまま、ただぶらんとさがっているだけで、なんの曲芸も動作もできない。ラジオ体操さえ、私には満足にできないのである。劣等なのは、体格だけでは無い。精神が薄弱である。だめなのである。私には、人を指導する力が無い。誰にも負・・・ 太宰治 「鴎」
・・・ この抽象と強調とアクセンチュエーションは、人形の顔のみならず、その動作にも同じ程度に現われる事はもちろんである。たとえば、すすり泣く女の肩の運動でも、実際の比例よりも郭大された振幅で行なわれる。人間の役者の場合だったら、かえって滑稽に・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・ ロスの方は体躯も動作も曲線的弾性的であるのに対してマックの方は直線的機械的なように見え、また攻勢防勢の駈引も前者の方がより多く複雑なように見えたので、自分は前に見たベーアとカルネラとの試合と比較して、ロスが最後の勝利を占めるのではない・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・威勢がよくて人なつこかった赤の動作がそれからそれと目に映って仕方がない。赤がいつものようにぴしゃぴしゃと飯へかけてやった味噌汁を甞める音が耳にはいったり、床の下でくんくんと鼻を鳴らして居るように思われたり、それにむかむかと迫って来る暑さに攻・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寝た? 三人とも一時に眠くなったからである。 夏目漱石 「一夜」
・・・なぜかと云うと、篇中に出て来る人間の心状、及び動作がことごとくタイフーンと舟火事なる自然力を離れずに、どこまでも密接な関係をもって展化進行するから、自然と人間が打って一丸となされて、偉大なる自然力の裏に副え物として人間が調子よく活動するから・・・ 夏目漱石 「コンラッドの描きたる自然について」
出典:青空文庫