・・・「紅雨の最も感動したのは、かの説明者が一々に勿体つける欄間の彫刻や襖の絵画や金箔の張天井の如き部分的の装飾ではなくて、霊廟と名付けられた建築とそれを廻る平地全体の構造配置の法式であった。先ず彎曲した屋根を戴き、装飾の多い扉の左右・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・二個以上の物体を同等の程度で好悪するときは決断力の上に遅鈍なる影響を与えるのが原則だ」とまた分り切った事をわざわざむずかしくしてしまう。「味噌汁の実まで相談するかと思うと、妙なところへ干渉するよ」「へえ、やはり食物上にかね」「う・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・lies と云うと有形的な物体に適用せらるる文字である。だから uneasy と読んで、どちらの uneasy かと迷う間もなく、直 lies と云う字に接続するからして uneasy の意味は明確になってくる。するとまたこう非難する人が出・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・天も、地も、精神も、物体も、世界において何物もない、自己というものまでもないのでないかと考えて見た。無論、斯く考える私はある。しかし偉大なる欺瞞者があって常に私を欺いているのでもなかろうか。真の神という如きものもないのではないか。しかし斯く・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・誦するにも堪えぬ芭蕉の俳句を註釈して勿体つける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこれを尊ぶ俗人もありて、芭蕉という名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、咳唾珠を成し句々吟誦するに堪えながら、世人はこれを知らず、宗匠はこれを尊・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 義太夫語りの様なゼイゼイした太い声を出して、何ぞと云っては、「ウハハハハと豪傑を気取り、勿体をつけて、ゆすりあげて笑った。 色の小白い、眼の赤味立った、細い体を膳の上にのしかけて、せっせと飯を掻込んで居る恭二のピク・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・クロッキーにおいて細部は追究されず、しかし流動する物体のエネルギーそのものの把握が試みられる。次の瞬間もうそこにはないその瞬間の腕の曲線、頸の筋骨の隆起、跳躍の姿がとらえられる。だが、そのうちに、ダイナミックに自然法則はとらえられる。「風知・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・別な例だが、横光利一という作家のシステムも、わかるようでわからなく、だがあけすけに分らないと云わせないような同時代人の或る神経にひっかかりをつけてゆく技術で、妙にはたから勿体をつけて見られた作家の一人であった。 伊藤整氏の場合、幽鬼・・・ 宮本百合子 「観念性と抒情性」
・・・思想の体系が一つの物体と化して撃ち合う今世紀の音響というものは、このように爆薬の音響と等しくなったということは、この度が初めでありまた最後ではないだろうかと。それぞれ人人は何らかの思想の体系の中に自分を編入したり、されたりしたことを意識して・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・しかし、文学はそんなものからさえも、彼らもまたかかる科学的な一個の物体として、文学的素材となり得ると見る。此の恐るべき文学の包括力が、マルクスをさえも一個の単なる素材となすのみならず、宇宙の廻転さえも、及び他の一切の摂理にまで交渉し得る能力・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
出典:青空文庫