・・・一人称単数現在なら hasami だからよく似ている。hsita は笑うべき事で「はしたない」に通じる。「はしゃぐ」が笑い騒ぐ事で、「あさましい」も場合によると「笑ひ事」であるのもおもしろい。 セミティックの方面でも (Ar.)basa・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・竹内さんの詩の心は、例えば苦悩についても、それが衆生のものでなくて、私ひとりのものであったら、何を矜持として生きるものか、とうたわれているとおり包括のひろさにかかわらず、女という響は単数で響いている。女である故にめぐりあったこの世の惨苦を、・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・在来の私小説はその発生の必然から、私は常に単数でしかあり得なかった。今日の生活の感覚は、私をもっと拡大しており、又複数にもしている。私たちと云わず、あり来った通りに私と云っても、その実質を成り立たせている社会要素は、複数としてしかあり得なく・・・ 宮本百合子 「人生の共感」
・・・は、民主主義の達成の一歩毎に単数の「私」から人民的複数の「私」に展開されます。小林多喜二の時代非合法であった共産党は、今日合法政党として存在し、工場細胞は公然です。非合法だった時代の党の気の毒な官僚主義、ヒロイズム、独善などがかりに小林多喜・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・ 現代の歴史では、ドン・キホーテが単数で語ったところが複数で、人間が現実を生きつづける力として、私たちに脈々と聴えて来ると感じられる。〔一九四一年十月〕 宮本百合子 「本棚」
・・・昔の人が人格のある単数の神や、複数の神の存在を信じて、その前に頭を屈めたように、僕はかのようにの前に敬虔に頭を屈める。その尊敬の情は熱烈ではないが、澄み切った、純潔な感情なのだ。道徳だってそうだ。義務が事実として証拠立てられるものでないと云・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫