・・・の御膳汁粉が「十二か月」のより自分にはうまかった。食うという事は知識欲とともに当時の最大の要事であったのである。 父に連れられてはじめて西洋料理というものを食ったのが、今の「天金」の向かい側あたりの洋食店であった。変な味のする奇妙な肉片・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・そのころの給仕人は和服に角帯姿であったが、震災後向かい側に引っ越してからそれがタキシードか何かに変わると同時にどういうものか自分にはここの敷居が高くなってしまった、一方ではまたSとかFとかKとかいうわれわれ向きの喫茶店ができたので自然にそっ・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・ 二 ある日乗り合わせた丸の内の電車で、向かい側に腰をかけた中年の男女二人連れがあった。男は洋服を着た魚屋さんとでもいった風体であり、女はその近所の八百屋のおかみさんとでも思われる人がらであった。しかるに二人の話・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ 池を隔てて池の間と名のついたこの小座敷の向かい側は、台所に続く物置きの板蔀の、その上がちょっとしゃれた中二階になっている。 あのころの田舎の初節句の祝宴はたいてい二日続いたもので、親類縁者はもちろん、平素はあまり往来せぬ遠縁のいと・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
出典:青空文庫