・・・のほかに、私自身の言葉を蛇足ながらつけ加えて、先生の告別の辞が、先生の希望どおり、先生の薫陶を受けた多くの人々の目に留まるように取り計らうのである。そうしてその多くの人々に代わって、先生につつがなき航海と、穏やかな余生とを、心から祈るのであ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
十一日の夜床に着いてからまもなく電話口へ呼び出されて、ケーベル先生が出発を見合わすようになったという報知を受けた。しかしその時はもう「告別の辞」を社へ送ってしまったあとなので私はどうするわけにもいかなかった。先生がまだ横浜・・・ 夏目漱石 「戦争からきた行き違い」
・・・この「告別の権利」が、自分になくって来客の手にあるということほど、客に対して僕を腹立たしくすることはない。 一体に交際家の人間というものは、しゃべることそれ自身に興味をもってる人間である。こうした種類の人間は、絶えず何かしらしゃべってな・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
七月八日、朝刊によって、有島武郎氏が婦人公論の波多野秋子夫人と情死されたことを知った。実に心を打たれ、その夜は殆ど眠れなかった。 翌朝、下六番町の邸に告別式に列し、焼香も終って、じっと白花につつまれた故人の写真を見・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・ わたしは告別式のとき、全露作家団体協議会クラブの広間に据えられた棺の中に横わっているマヤコフスキーを見た。顎骨のつよくはった彼の顔、体を包んでいる赤い旗、胸の上におかれているバラの花。それ等は写真にとられ、ソヴェト文学史の第何頁かにの・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・ 駒沢の家へ帰る電車の中で、またも小穴さんのスケッチが眼に泛び、私は腹の底から啜泣のようなものがこみ上げて来て仕方がなかった。告別式場の隅に佇んで、浄げな柩の方を猶も見守っていた時、久米さんが見え、二言三言立ちながら話した。 簡・・・ 宮本百合子 「田端の坂」
・・・仕事出来ず 七月八日 朝食堂にゆく 有島氏の死 四十六歳 九日 告別式 十日 髪を洗う 十一日 風の強い、始めての蝉の声 夏らしい日 七月三十一日 福井に来 九月一日 大地・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(二)」
・・・ ようよう物語と同じように節を附けた告別の詞が、秋水の口から出た。前列の中央に胡坐をかいていた畑を始として、一同拍手した。私はこの時鎖を断たれた囚人の歓喜を以て、共に拍手した。 畑等が先に立って、前に控所であった室の隣の広間をさして・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫