・・・ そうだ、四月馬鹿だ、こりゃ武田さんの一生一代の大デマだと呟きながら、私はポタポタと涙を流した。 そして、あんなにデマを飛ばしていたこの人は寂しい人だったんだ、寂しがり屋だったんだと、ポソポソ不景気な声で呟いていた。 新聞に出て・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・この男を配すれば一代女の模倣にならぬかも知れないと、呟き乍ら宗右衛門町を戎橋の方へ折れた。橋の北詰の交番の前を通ると、巡査がじろりと見た。橋の下を赤い提灯をつけたボートが通った。橋を渡るとそこにも交番があり、再びじろりと見た。戎橋筋は銀行の・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ と、呟きながら読んで行って、「応募資格ハ男女ヲ問ハズ、専門学校卒業又ハ同程度以上ノ学力ヲ有スル者」という個所まで来ると、道子の眼は急に輝いた。道子はまるで活字をなめんばかりにして、その個所をくりかえしくりかえし読んだ。「応募資格ハ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・と三百はプンとした顔して呟きながら、渋々に入って来た。四十二三の色白の小肥りの男で、紳士らしい服装している。併し斯うした商売の人間に特有――かのような、陰険な、他人の顔を正面に視れないような変にしょぼ/\した眼附していた。「……で甚だ恐・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ イワンは、口の中で、何かぶつぶつ呟きながら、防寒靴をはき、破れ汚れた毛皮の外套をつけた。「戦争かもしれんて」彼は小声に云った。「打ちあいでもやりだせゃ、俺れゃ勝手に逃げだしてやるんだ。」 戸外では若い馭者が凍えていた。商人は、・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・そこで、土地土地土地と、土地を第一に思っていたおふくろが、ぼれたなりに、今度は銭銭銭と、金のことばかりを独りごとに呟きだした。八「孫七」の娘のお八重が、見知らぬ男と睦まじげに笑いかわしながら、自動車からおりて来た。 情夫・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・とイ。」とばあさんは云った。 やがて、彼は種物を求めて来ると、「こっちの人は自分のしたチョウズまで銭を出して他人に汲んで貰うんじゃ。勿体ないこっちゃ。」と呟きながら、大便を汲んで掘り返した土の上に振りかけた。「これで菜物がよう出・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・言葉にこそ云わないけれども、彼女は、いかにも可愛くて堪らなそうに何か呟きます、牛共は、どんなに多くの言葉より、此優しい呟きをさとりました。彼女があやし、叱り、機嫌などを取ってやると、喋る大人がしてやるより、遙か素直にききわけます。 スバ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、と真顔で呟きながら、端から端まで、たんねんに読破している。ほんとうは、鏡花をひそかに、最も愛読していた。末弟は、十八歳である。ことし一高の、理科甲類に入・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ と私はひとりごとのように呟き、やっと窓のカアテンに触って、それを排して窓を少しあけ、流水の音をたてた。「キクちゃんの机の上に、クレーヴの奥方という本があったね。」 私はまた以前のとおりに、からだを横たえながら言う。「あの頃・・・ 太宰治 「朝」
出典:青空文庫