・・・季節が少し寒くなりかかると、泳げないから浅草橋あたりまで行って釣舟屋の舟を借り、両国から向嶋、永代から品川の砲台あたりまで漕ぎ廻ったが、やがて二、三年過るとその興味も追々他に変じて、一ツ舟に乗り合せた学校友達とも遠ざかり、中には病死したもの・・・ 永井荷風 「向島」
・・・改良剣舞の娘たちは、赤き襷に鉢巻をして、「品川乗出す吾妻艦」と唄った。そして「恨み重なるチャンチャン坊主」が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿の綿入の満洲服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ヤア品川湾がすっかり見えるネー、なるほどあれが築港の工事をやっているのか。実に勇ましいヨ。どしどし遣らなくっちゃいかんヨ。」「君はどの汽車に乗るのだ。」「僕は二時半の東海道線だが、尤も本所へも寄って行きたいのだが、本所はずれまで人力で往復し・・・ 正岡子規 「初夢」
去る十二月十九日午後一時半から二時の間に、品川に住む二十六歳の母親が、二つの男の子の手をひき、生れて一ヵ月たったばかりの赤ちゃんをおんぶして、山の手電車にのった。その時刻にもかかわらず、省線は猛烈にこんで全く身動きも出来ず・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・○三井品川工場 塩原文作。資本ケイ統住友 第一職工だけ。女三六五人○健康ホケン費 七五、一二八・四円。一ヵ年間にこの七万五千余円がホケン組合に入る。一人当り一ヵ年二八円九四銭 第十二工場 製カン、鋳物、ガス溶接屋 二〇・・・ 宮本百合子 「工場労働者の生活について」
・・・ このストライキが起る前、地下鉄の従業員達は出征する従業員を品川駅へ見送りにやらされた。が、その連中は会社側が渡した日の丸の旗を振ることを大衆的に拒絶し、プラットフォームで戦争反対の演説をやって、メーデー歌を合唱したという話がある。又、・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・この霊屋の下に、翌年の冬になって、護国山妙解寺が建立せられて、江戸品川東海寺から沢庵和尚の同門の啓室和尚が来て住持になり、それが寺内の臨流庵に隠居してから、忠利の二男で出家していた宗玄が、天岸和尚と号して跡つぎになるのである。忠利の法号は妙・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・三十日に大暴風で阪の下に半日留められた外は、道中なんの障もなく、二人は七月十一日の夜品川に着いた。 十二日寅の刻に、二人は品川の宿を出て、浅草の遍立寺に往って、草鞋のままで三右衛門の墓に参った。それから住持に面会して、一夜旅の疲を休めた・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・今日も憲兵がついて来たのですが、句会があるからと云って、品川で撒いちゃいました。」 帰ってから憲兵への口実となる色紙の必要なことも、それで分った。梶は、自分の色紙が栖方の危険を救うだけ、自分へ疑惑のかかるのも感じたが、門標につながる縁も・・・ 横光利一 「微笑」
・・・元来この書は、心敬が応仁の乱を避けて武蔵野にやって来て、品川あたりに住んでいて、応仁二年に書いたものであるが、その書の末尾にいろいろな名人を数え上げ、それが皆三、四十年前の人であることを省みて、次のように慨嘆しているのである。「程なく今の世・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫