・・・トーヴァルセンを出して世界の彫刻術に一新紀元を劃し、アンデルセンを出して近世お伽話の元祖たらしめ、キェルケゴールを出して無教会主義のキリスト教を世界に唱えしめしデンマークは、実に柔和なる牝牛の産をもって立つ小にして静かなる国であります。・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・何の主義によらず唱えらるゝに至った動機、世間が之を認めたまでには、痛切な根柢と時勢に対する悲壮な反抗と思想上の苦闘があったことを知らなければならぬ。だから、批評家が一朝机上の感想で、之を破壊することは不可能であるし、また無理だと思う。 ・・・ 小川未明 「若き姿の文芸」
・・・浜子は不動明王の前へ灯明をあげて、何やら訳のわからぬ言葉を妙な節まわしで唱えていたかと思うと、私たちには物も言わずにこんどは水掛地蔵の前へ来て、目鼻のすりへった地蔵の顔や、水垢のために色のかわった胸のあたりに水を掛けたり、タワシでこすったり・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ と、おかしげな気合を掛けたり、しまいには数珠を揉んで、「――南無妙法蓮華経!」 と、唱えて見たり、必要以上にきりきり舞いをしていたが、ふと見ると、お前は鉢巻をしていた。おれはぷっと噴きだし、折角こっちが勿体ぶっているのに、鉢巻・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・彼が今日にも出てゆくと言っても彼女が一言の不平も唱えないことはわかりきったことであった。それでは何故出てゆかないのか。生島はその年の春ある大学を出てまだ就職する口がなく、国へは奔走中と言ってその日その日をまったく無気力な倦怠で送っている人間・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・』 あくまで太い事をいって、立ち上がって便所へ行きながら、『その代わり便所の窓から念仏の一つも唱えてやらア。』『あれだもの』女房は苦い顔をして娘と顔を見合した。娘はすこぶるまじめで黙っている。主人は便所の窓を明けたが、外面は雨でも月・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・人で土地を逃げるという了見になりました、忘れもいたしません、六月十五日の夜、七日の晩から七日目の晩でございます、お幸に一目逢いたいという未練は山々でしたが、ここが大事の場合だと、母の法名を念仏のように唱えまして、暗に乗じて山里を逃亡いたしま・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・を初めて唱えたのであった。彼は「われ日本の柱とならん」といった。「名のめでたきは日本第一なり、日は東より出でて西を照らす。天然の理、誰かこの理をやぶらんや」といい、「わが日本国は月氏漢土にも越え、八万の国にも勝れたる国ぞかし」ともいった。「・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 観音経を唱えていた神経衰弱の伍長が、ふと、湯呑をチンチン叩くのをやめた。 負傷者は、傷をかばいながら、頭を擡げて窓口へ顔を集めた。五六台の橇が院庭へ近づいてきた。橇は、逆に馬をうしろへ引きずって丘を辷り落ちそうに見えた。馭者台から・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・とある家にて百万遍の念仏会を催し、爺嫗打交りて大なる珠数を繰りながら名号唱えたる、特に声さえ沸ゆるかと聞えたり。 上野に着きて少時待つほどに二時となりて汽車は走り出でぬ。熱し熱しと人もいい我も喞つ。鴻巣上尾あたりは、暑気に倦めるあまりの・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫