青黄ろく澄み渡った夕空の地平近い所に、一つ浮いた旗雲には、入り日の桃色が静かに照り映えていた。山の手町の秋のはじめ。 ひた急ぎに急ぐ彼には、往来を飛びまわる子供たちの群れが小うるさかった。夕餉前のわずかな時間を惜しんで・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・連日の雨で薄濁りの水は地平線に平行している。ただ静かに滑らかで、人ひとり殺した恐ろしい水とも見えない。幼い彼は命取らるる水とも知らず、地平と等しい水ゆえ深いとも知らずに、はいる瞬間までも笑ましき顔、愛くるしい眼に、疑いも恐れもなかったろう。・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ その方角には、淡く白い銀河が流れて、円く地平へ没していたのであります。 小川未明 「銀河の下の町」
・・・日向はわずかに低地を距てた、灰色の洋風の木造家屋に駐っていて、その時刻、それはなにか悲しげに、遠い地平へ落ちてゆく入日を眺めているかのように見えた。 冬陽は郵便受のなかへまで射しこむ。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持っていて、見て・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 夕日が、あかあかと彼方の地平線に落ちようとしていた。牛や馬の群が、背に夕日をあびて、草原をのろのろ歩いていた。十月半ばのことだ。 坂本は、「腹がへったなあ。」と云ってあくびをした。「内地に居りゃ、今頃、野良から鍬をかついで・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・た死ぬる生命、お金ある宵はすなわち富者万燈の祭礼、一朝めざむれば、天井の板、わが家のそれに非ず、あやしげの青い壁紙に大、小、星のかたちの銀紙ちらしたる三円天国、死んで死に切れぬ傷のいたみ、わが友、中村地平、かくのごとき朝、ラジオ体操の音楽を・・・ 太宰治 「喝采」
・・・友人の中村地平、久保隆一郎、それから御近所の井伏さんにも読んでもらって、評判がよい。元気を得て、さらに手を入れ、消し去り書き加え、五回ほど清書し直して、それから大事に押入れの紙袋の中にしまって置いた。今年の正月ごろ友人の檀一雄がそれを読み、・・・ 太宰治 「川端康成へ」
・・・の文章を、うろ覚えのままに、東京のみんなに教えて、中村地平君はじめ、井伏さんのお耳まで汚し、一門、たいへん御心配にて、太宰のその一文にて、もしや、佐藤先生お困りのことあるまいかと、みなみな打ち寄りて相談、とにかく太宰を呼べ、と話まとまって散・・・ 太宰治 「創生記」
・・・これは少しあぶないと、地平室の天井を注目した。クラックが行くと一大事逃げなければならないと思ったのだ。ピリリともしないので、少し落付いたら、食事をする気で居ると、何ともそとのさわぎがひどいので出て見て驚いた。早速、郵船を見ると、どうもガタガ・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
出典:青空文庫