・・・が整ったと云うだけでしたが、その後引続いて受取った手紙によると、彼はある日散歩のついでにふと柳島の萩寺へ寄った所が、そこへ丁度彼の屋敷へ出入りする骨董屋が藤井の父子と一しょに詣り合せたので、つれ立って境内を歩いている中に、いつか互に見染めも・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・保吉は死を考える度に、ある日回向院の境内に見かけた二匹の犬を思い出した。あの犬は入り日の光の中に反対の方角へ顔を向けたまま、一匹のようにじっとしていた。のみならず妙に厳粛だった。死と云うものもあの二匹の犬と何か似た所を持っているのかも知れな・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 二三 ダアク一座 僕は当時回向院の境内にいろいろの見世物を見たものである。風船乗り、大蛇、鬼の首、なんとか言う西洋人が非常に高い桿の上からとんぼを切って落ちて見せるもの、――数え立てていれば際限はない。しかしいちば・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・沼の干たような、自然の丘を繞らした、清らかな境内は、坂道の暗さに似ず、つらつらと濡れつつ薄明い。 右斜めに、鉾形の杉の大樹の、森々と虚空に茂った中に社がある。――こっちから、もう謹慎の意を表する状に、ついた杖を地から挙げ、胸へ片手をつけ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ もう一息で、頂上の境内という処だから、団扇太鼓もだらりと下げて、音も立てず、千箇寺参りの五十男が、口で石段の数取りをしながら、顔色も青く喘ぎ喘ぎ上るのを――下山の間際に視たことがある。 思出す、あの……五十段ずつ七折ばかり、繋いで・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・で、お宗旨違の神社の境内、額の古びた木の鳥居の傍に、裕福な仕舞家の土蔵の羽目板を背後にして、秋の祭礼に、日南に店を出している。 売るのであろう、商人と一所に、のほんと構えて、晴れた空の、薄い雲を見ているのだから。 飴は、今でも埋火に・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・母の初七日のおり境内へ記念に植えた松の木杉の木が、はや三尺あまりにのびた、父の三年忌には人の丈以上になるのであろう。畑の中に百姓屋めいた萱屋の寺はあわれにさびしい、せめて母の記念の松杉が堂の棟を隠すだけにのびたらばと思う。 姉がまず水を・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ 家の子村の妙泉寺はこの界隈に名高き寺ながら、今は仁王門と本堂のみに、昔のおもかげを残して境内は塵を払う人もない。ことに本堂は屋根の中ほど脱落して屋根地の竹が見えてる。二人が門へはいった時、省作はまだ二人の来たのも気づかず、しきりに本堂・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ ちょうど、このとき、奥深い寺の境内から、とぼとぼとおじいさんがつえをついて歩いて出てきました。 おじいさんは、白いひげをはやしていました。 二郎は、そのおじいさんを見ていますと、おじいさんは、二郎のわきへ近づいて、ゆき過ぎよう・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・ お寺の境内には、幾たびか春がきたり、また去りました。けれど、和尚さまと犬の生活には変わりがなかったのであります。 和尚さまは、ある日赤犬に向かって、「おまえも年をとった。やがて極楽へゆくであろうが、私はいつも仏さまに向かって、・・・ 小川未明 「犬と人と花」
出典:青空文庫