・・・すると、大きな木のこんもりとした社の境内を下にながめました。子供らが豆を買って、地面の上に群がっているはとに投げやっていました。 かもめはそれを見ると、まったく驚きました。都というところは不思議なところだ。ここにさえいれば、遊んでいても・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
私がまだ六つか七つの時分でした。 或日、近所の天神さまにお祭があるので、私は乳母をせびって、一緒にそこへ連れて行ってもらいました。 天神様の境内は大層な人出でした。飴屋が出ています。つぼ焼屋が出ています。切傷の直ぐ・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・私を送って行った足で上りこむなり、もう嫌味たっぷりに、――高津神社の境内にある安井稲荷は安井さんといって、お産の神さんだのに、この子の母親は安井さんのすぐ傍で生みながら、産の病で死んでしまったとは、何と因果なことか……と、わざとらしく私の生・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・それで、その日の別れぎわ、明日の夕方生国魂神社の境内で会おうと、断られるのを心配しながら豹一がびくびくしながら言いだすと、まるで待っていたかのように嬉しく承諾し、そして約束の時間より半時間も早く出かけて待っていた。 その夕方、豹一は簡単・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ すっかり暗くなったところで弟は行李を担いで、Fとの二人が茶店の娘に送られて出て行ったが、高い石段を下り建長寺の境内を通ってちょうど門前の往来へ出たかと思われた時分、私はガランとした室に一人残って悲みと寂しさに胸を噛まれる気持で冷めたく・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・君はそういう訳で歩いているなら、これこれの処にこういう寺がある、由緒は良くても今は貧乏寺だが、その寺の境内に小さな滝があって、その滝の水は無類の霊泉である。養老の霊泉は知らぬが、随分響き渡ったもので、二十里三十里をわざわざその滝へかかりに行・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・の燈籠の、いと大きくものものしげなるが門にかけられたるなど、見る眼いたく、あらずもがなとおもわる。境内広く、社務所などもいかめしくは見えたれど、宮居を初めよろずのかかり、まだ古びねばにや神々しきところ無く、松杉の梢を洩りていささか吹く風のみ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 透谷君がよく引っ越して歩いた事は、已に私は話した事があるから、知っている読者もあるであろうと思うが、一時高輪の東禅寺の境内を借りて住んでいた事があって、彼処で娘のふさ子さんが生れた。彼処に一人食客がいた事は、戸川君も一度書いた事がある・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、縄を拾い之を振りまわし、宮の境内の、両替する者の台やら、鳩売る者の腰掛けやらを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊をも、その縄の鞭でもって全部、宮から追い出して、境内にいる大勢の商人た・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・ほとんど骨がないみたいにぐにゃぐにゃしている大尉を、うしろから抱き上げるようにして歩かせ、階下へおろして靴をはかせ、それから大尉の手を取ってすぐ近くの神社の境内まで逃げ、大尉はそこでもう大の字に仰向に寝ころがってしまって、そうして、空の爆音・・・ 太宰治 「貨幣」
出典:青空文庫