・・・歩ける嬉しさ、坐れる嬉しさ、自然に接しられる嬉しさは、そのいずれも叶わぬ不自由な境涯に落ちて一そうはっきりと私に分るようになった。もう今では崖の下の海で、晴れ間を見て子供たちが海水浴を始めている。海の中へつき出た巌の上に立っている宿屋では、・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・其日々々の勤務――気圧を調べるとか、風力を計るとか、雲形を観察するとか、または東京の気象台へ宛てて報告を作るとか、そんな仕事に追われて、月日を送るという境涯でも、あの蛙が旅情をそそるように鳴出す頃になると、妙に寂しい思想を起す。旅だ――五月・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・と云って、当時の文学者としては相応な酬いを受けていた露伴氏の事を、羨んで話した事があったが、それほど貧しく暮さなければならない境涯で、そのためには異人の仕事をしたり、それから『平和』という宗教雑誌を編輯したりした事があるように記憶している。・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・神聖な民族でありながらもその誇りを忘れて、エジプトの都会の奴隷の境涯に甘んじ貧民窟で喧噪と怠惰の日々を送っている百万の同胞に、エジプト脱出の大事業を、「口重く舌重き」ひどい訥弁で懸命に説いて廻ってかえって皆に迷惑がられ、それでも、叱ったり、・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・私のいま夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である。 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・私のそれからの境涯に於いても、いつでもこの女の不意に発揮する強力なる残忍性のために私は、ずたずたに切られどおしでございました。 父が死んでから、私の家の内部もあまり面白くない事ばかりでございまして、私は家の事はいっさい母と弟にまかせると・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・、われその道を好むと雖も指南を乞うべき方便を知らず、なおまた身辺に世俗の雑用ようやく繁く、心ならずも次第にこの道より遠ざかり、父祖伝来の茶道具をも、ぽつりぽつりと売払い、いまは全く茶道と絶縁の浅ましき境涯と相成申候ところ、近来すこしく深き所・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・感情上から云っても同じく解らん……つまる所、こんな煮え切らぬ感情があるから、苦しい境涯に居たのは事実だ。が、これは「厭世」と名くべきものじゃ無かろうと思う。 其時の苦悶の一端を話そうか。――当時、最も博く読まれた基督教の一雑誌があった。・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・第二義から第一義に行って霊も肉も無い……文学が高尚でも何でも無くなる境涯に入れば偖てどうなるかと云うに、それは私だけにゃ大概の見当は付いているようにも思われるが、ま、ま、殆ど想像が出来んと云って可いな。――ただ何だか遠方の地平線に薄ぼんやり・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・〔『日本』明治三十二年三月二十二日〕 曙覧が清貧の境涯はほぼこの文に見えたるも、彼の衣食住の有様、すなわち生活の程度いかんはその歌によって一層詳に知ることを得べし。その歌左に人にかさかしたりけるに久しうかへさざりければ、・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫